五島・対馬・壱岐編(27):鶏知(09.9)

 酷使に対する感謝の気持ちとしてお代を奢らせていただき、さあ出発。川沿いにしばらく東行すると、右手には東邦亜鉛の事業所、左手にはかつての東邦亜鉛従業員宿舎が見えてきました。
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 そして元寇で討死にした宗助国の首を葬ったという「お首塚」を見学。
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 途中の若田は、紫式部も愛用したといわれる名硯の産地だそうです。そして山道を二十分ほど走ると上見坂公園に到着です。かつて宗氏初代の重尚と阿比留平太郎が、対馬地頭の地位をかけて激突した地と解説には書いてありました。ここから眺める対馬の山並みと、その彼方に見やれる浅茅湾の溺れ谷の眺めは素晴らしいですね。湿度が高いためか、視界がもうひとつクリアでないのが残念。夏の夜は漁り火がきらめき、素晴らしい景観だそうです。
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 またかつてこのあたりは要塞・砲台があったところで、木々の中をすこし奥へ進むと、砲座跡・兵舎跡・砲兵詰所跡などの廃墟が散見されます。
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 さてこれから厳原をかすめて、対馬要塞重砲兵連隊があった鶏知(けち)へと向かいます。途中にあった古い和風家屋が、かつての将校や兵の宿舎であったと運転手さんが教えてくれました。上見坂公園から二十分ほどで鶏知に到着、鶏知中学校には重砲兵連隊の正門の柱が残されています。その近くには「対馬要塞重砲兵連隊跡」という記念碑が建立されていました。「神聖喜劇」の舞台となったこの地に来られて感無量です。主人公・藤堂太郎の言動が脳裡をよぎりました。
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 そして浅茅湾を右手に十数分走ると、竹敷に到着。ここにはかつて海軍要港部が置かれ、日清戦争や日露戦争で活躍した水雷艇基地があったところです。その素晴らしい石組みのドック跡があるはずですが、さすがの運転手さんにも見つけられません。地元の年配女性に訊ねてやっとのことでわかりました。某製塩会社の敷地内にあるので、たまたまいらした社員の方の了承を得て中に入れてもらいさっそく見学。石組みのドック自体がきわめて貴重なのですが、それに加えて長年の歳月を経ても微塵の狂いも生じていないその堅固な佇まいには圧倒されました。これは一見の価値あり。
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 竹敷の先には芋﨑の砲台跡があり、そこから眺める浅茅湾は絶景という情報を入手していたのですが、運転手さん曰く、道が整備されていないので時間がかかるということでした。せんかたなし、潔く断念し再訪を期しましょう。それにしてもそうした貴重な戦争遺跡や見事な景観の場所へのアクセスはきちんと整備してほしいものです。対馬の観光に対する熱意の不足に、二人して嘆息してしまいました。はあ。そして鶏知の住吉神社に寄って、日露戦争における戦利品といわれるロシア海軍の浮遊機雷を拝見しようとしましたが、これが見当たりません。運転手さんもご存じないようで、二人してうろうろ探した結果、あった! 鳥居をくぐって石段をのぼる途中の左側に、鉄製の真ん丸い浮遊機雷が、何の解説もなく、ぽてちんと鎮座していました。横須賀の記念艦「三笠」にも同型のものがあったような気がします。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2010-08-22 08:20 | 九州 | Comments(0)
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