「チボー家の人々」(ロジェ・マルタン・デュ・ガール 山内義雄訳 白水社)読了。高野文子氏の「黄色い本 ジャック・チボーという名の友人」(講談社)に触発され、義父の本棚にあった黄色い本書(初版本!)を紐解きました。うん、面白かった。長編小説の醍醐味を存分に味わえました。
前半は、敬虔なカトリック教徒で実業家のオスカル・チボーの2人の息子、アントワーヌとジャック、ジャックの友人でプロテスタントの家庭の息子ダニエルの3人の若者を中心に展開されていきます。秀才で将来を嘱望される医師である現実主義者のアントワーヌ、父親に反抗し少年院に入れられる理想主義者のジャック、ませた享楽主義者のダニエル。やはりジャックの人物像に心惹かれます。後に兄アントワーヌが、「血気、過激、大胆、はにかみ、それに抽象的観念へのあこがれ、中途半端なことへの憎悪、とうてい懐疑主義にはなりきれないことへのあこがれ」と弟のことを回想していますが、こうしたことが混沌のように渦巻く内心を抱えながら、もがき苦しむジャック。ただストーリー自体はわりと淡々と進み、起伏も少なく、少々退屈する部分もありました。 それが一気に盛り上がるのが後半、第三巻の『1914年夏』からです。ヨーロッパに夜の高潮のようにひたひたと迫り来る第一次世界大戦の影。人々の不安、反戦への動き、それを押しつぶして呑み込んでいくナショナリズム、高揚、諦め、絶望… さすがに同時代を生きた小説家だけに、そのリアルな描写には手に汗握り息を呑むこともしばしばでした。家出をしたジャックは革命家となり、反戦運動に尽力し、やがて友人ダニエルの妹ジェンニーとの激しい恋に落ちます。その愛を成就するためにも、歴史の流れを止め、"正義と清純の新しい世界(第四巻p.51)"を打ちたてようとするジャック。「世界に平和を取りもどしてやる(第五巻p.60)」という彼の叫びが耳朶に残ります。ジャックが集会で人々に戦争への非協力を訴えた演説は圧巻です(第四巻p.204)。しかし、各国で同時にゼネストを起こそうとする革命家たちの試みは挫折し、戦争は勃発、反戦運動も分断され多くの革命家たちも「祖国防衛」のために戦場へと向います。しかしジャックはあきらめず、飛行機から反戦ビラをまいて兵士に戦場からの離脱を訴えかけようとしますが墜落して重傷を負い、最後はドイツ軍のスパイと間違えられて殺害されます。一方、兄アントワーヌは戦争への協力は市民の義務だと考え軍医として従軍しますが、毒ガスを吸って入院、余命いくばくもなく病床に伏せります。彼は己の過ちに気づき、病と戦いながら戦争・文明・人類への考察を突き詰めます。ここで登場し、人類と現代文明に対する痛烈な批判を語る彼の恩師・フィリップ博士も魅力的な人物でした。そしてジャックとジェンニーとの間に生まれた遺児ジャン・ポールへの希望と、この戦争の本質と人類への懐疑を語る長い独白で、小説は終ります。 第一次世界大戦が、ヨーロッパの知識人に与えた衝撃の大きさをあらためて思い知らされます。総力戦と大量殺戮、それを可能にした科学技術、そして祖国のためにすすんで命を投げ出した多くの人々。B・アンダーソンが『想像の共同体』(NTT出版)の中で指摘している通りです。「今世紀の大戦の異常さは、人々が類例のない規模で殺し合ったということよりも、途方もない数の人々が自らの命を投げ出そうとしたということにある」 暴力・破壊・狭量は人類の本能なのか、このまま人類は滅んでしまうのではないのか、人類の愚行や傲慢をくいとめる術はないのか、われわれはどうすればよいのか。ジャック、アントワーヌ、フィリップ博士が三人三様に語る、呪詛と憤怒と絶望とかすかな希望に心打たれます。そう、この問題はいまだ解決していないどころか、環境破壊というさらに深刻な問題まで加えてわれわれの眼前に立ち塞がっています。今だからこそ、彼らの言に耳を傾けてみませんか。まだ遅くはない…かもしれません。 [ジャック] 従来の権益者を追っ払ってその後に他の権益者をすえること、それでは資本主義をほろぼすということにはならない。それはただ、資本主義の位置を変えるというに過ぎないんだ。そして革命は、一つの階級-たといそれが一番多数をしめ、一番搾取されつづけていた階級であろうと-一つの階級の勝利とは別個のものでなければならない。僕は、一般的な勝利をのぞんでいるのだ…ひろく人間的な階級の。(第三巻p.180)
by sabasaba13
| 2010-08-25 06:28
| 本
|
Comments(4)
Commented
by
JCNCC
at 2010-11-01 23:21
x
最近、貴殿のブログで「チボー家の人々」をみつけました。
少しタイミングを失していますが、私も「チボー家の人々」で深く感動した一人です。この本は長編ですので読破した人も少ないためか、広告目的の書評しか見つからないで探していました。 ジャックの生き方に感動して、わたしもブログで頑張っています。 この本で、もう一つ忘れられないのは、ジャックとジェニーのラブストリー。悲劇的な結末に終わるのです、 とくに 「美しい季節」のテニスコート以降は何度も読み直しました。
0
Commented
by
sabasaba13 at 2010-11-03 20:17
こんばんは、JCNCCさん。ほんとうに長編小説を読む醍醐味を十二分に味わえました。書評ではふれませんでしたが、ジャックとジェニーの胸がせつなくなるような愛も読みどころですね。
早速、スレ主さんのレス有難うございます。
「チボー家の人々」を読み出して一番困ったのは、横文字の出場人物が多分、50人(?)以上出てきます。それを頭に入れていくのに苦労しました。 どこかに登場人物のリストを入れてくれると読者に親切だと思います。(翻訳者に要望)。最近の判には、リストが入っているのでしょうか。 最後のアントワーヌの日記は、圧巻です。本当に自分が肺を侵されて死の世界に流し込まれていくような気持ちになりました。 この本は20年かかって書かれただけあって、実に丁寧な心の描写に感動しましたことも忘れられません。
Commented
by
sabasaba13 at 2010-11-07 16:56
こんばんは、JCNCCさん。たしかにおっしゃる通りですね、私も登場人物を覚えるのに苦労しました。
「人間が生存してきたのは奇蹟だ」というアントワーヌの呟きと、「世界に平和を取りもどしてやる」というジャックの叫びが、今でも耳朶の中で共鳴しています。この二人の遺志を受け継ぐのか、あるいは無関心でいるのか。われわれは大きな岐路に立っているような気がします。
|
自己紹介
東京在住。旅行と本と音楽とテニスと古い学校と灯台と近代化遺産と棚田と鯖と猫と火の見櫓と巨木を愛す。俳号は邪想庵。
カテゴリ
以前の記事
2024年 03月 2024年 02月 2024年 01月 2023年 12月 2023年 11月 2023年 10月 2023年 09月 2023年 08月 2023年 07月 2023年 06月 2023年 05月 2023年 04月 2023年 03月 2023年 02月 2023年 01月 2022年 12月 2022年 11月 2022年 10月 2022年 09月 2022年 08月 2022年 07月 2022年 06月 2022年 05月 2022年 04月 2022年 03月 2022年 02月 2022年 01月 2021年 12月 2021年 11月 2021年 10月 2021年 09月 2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 05月 2021年 04月 2021年 03月 2021年 02月 2021年 01月 2020年 12月 2020年 11月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 07月 2020年 06月 2020年 05月 2020年 04月 2020年 03月 2020年 02月 2020年 01月 2019年 12月 2019年 11月 2019年 10月 2019年 09月 2019年 08月 2019年 07月 2019年 06月 2019年 05月 2019年 04月 2019年 03月 2019年 02月 2019年 01月 2018年 12月 2018年 11月 2018年 10月 2018年 09月 2018年 08月 2018年 07月 2018年 06月 2018年 05月 2018年 04月 2018年 03月 2018年 02月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 11月 2017年 10月 2017年 09月 2017年 08月 2017年 07月 2017年 06月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 02月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 06月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 06月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 07月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 2012年 05月 2012年 04月 2012年 03月 2012年 02月 2012年 01月 2011年 12月 2011年 11月 2011年 10月 2011年 09月 2011年 08月 2011年 07月 2011年 06月 2011年 05月 2011年 04月 2011年 03月 2011年 02月 2011年 01月 2010年 12月 2010年 11月 2010年 10月 2010年 09月 2010年 08月 2010年 07月 2010年 06月 2010年 05月 2010年 04月 2010年 03月 2010年 02月 2010年 01月 2009年 12月 2009年 11月 2009年 10月 2009年 09月 2009年 08月 2009年 07月 2009年 06月 2009年 05月 2009年 04月 2009年 03月 2009年 02月 2009年 01月 2008年 12月 2008年 11月 2008年 10月 2008年 09月 2008年 08月 2008年 07月 2008年 06月 2008年 05月 2008年 04月 2008年 03月 2008年 02月 2008年 01月 2007年 12月 2007年 11月 2007年 10月 2007年 09月 2007年 08月 2007年 07月 2007年 06月 2007年 05月 2007年 04月 2007年 03月 2007年 02月 2007年 01月 2006年 12月 2006年 11月 2006年 10月 2006年 09月 2006年 08月 2006年 07月 2006年 06月 2006年 05月 2006年 04月 2006年 03月 2006年 02月 2006年 01月 2005年 12月 2005年 11月 2005年 10月 2005年 09月 2005年 08月 2005年 07月 2005年 06月 2005年 05月 2005年 04月 2005年 03月 2005年 02月 お気に入りブログ
最新のコメント
最新のトラックバック
検索
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧
|
ファン申請 |
||