五島・対馬・壱岐編(35):はらほげ地蔵・原の辻遺跡(09.9)

 そして数分で「はらほげ地蔵」に到着。海中に立っているため、満潮の時に供物が濡れないように胸のところに丸い穴があいている六地蔵です。遭難した海女のため、捕獲した鯨の慰霊のため、疫病退散祈願のため等々、縁起については諸説ありますが詳しいことは不明、ただ海中を好まれると考えられているようです。干潮なので足元まで海上から出ていますが、潮が満ちていたらなかなかピクチャレスクな光景でしょう。赤い涎掛けで穴が見えないので、ガイドさんに「穴を見てもいいでしょうか」と訊ねると、「それでは代表でこのお地蔵さんに見せてもらいましょう」と涎掛けをめくってくれました。
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 なおこのあたりには、食堂「はらほげ」のご主人が、漂着物でつくった交通安全人形がたくさん設置してありました。それでは原の辻(はるのつじ)遺跡へと向かいましょう。安国寺を通り過ぎて、十分ほどで到着です。
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 以下、岩波日本史辞典(岩波書店)に依拠して紹介します。
 弥生時代の遺跡で、魏志倭人伝にいう一支国の中心部にあたる。台地上各所に墳墓と生活跡がある。1950年代の調査で、後期前半に石器が減り鉄器がかなり出現することが確認された。中期後半には南北約850m,東西約350mの範囲に3重の環濠を巡らし,中心部には溝や塀で囲んだ中核施設がある。環濠外の墓地からは中国鏡など副葬品が豊富に出土し、王族墓と見られる。中国系・朝鮮半島系遺物が豊富に出土する。
 観光パンフレットには、弥生時代三大遺跡の一つと誇らしげに書かれていましたが、残り二つはおそらく吉野ヶ里登呂でしょう。本来ならば、こちらにある展示館を見学するはずだったのですが、2010年3月14日に「一支国博物館」がオープンする予定なので、閉鎖されています。ガイドさんが指さす山上には、展望塔をそなえた新しい博物館を遠望できました。何でも、黒川紀章の遺作だそうです。またそのため、一帯は整備のための工事中。ガイドさん曰く「電線も、費用節減のために歩道の地下に埋めたんです」、すると一言居士の旦那さん、すかさず「地下に電線を埋める際には、歩道では地下60cm、車道では地下120cmと定められているからね」と解説。ガイドさんは感心してすぐにメモをとっていました。それにしても何でそんなことまで知っているのでしょう。それでも特別の許可をもらって、見学をすることができました。広大な敷地に、竪穴住居や高床倉庫、物見櫓などが散在しています。ガイドさんが言うには、博物館を含めて相当の経費を使っているため、地元ではペイできるのかどうか不安が広がっているそうです。しかし「地元が盛り上がらなくてどうする」と、市役所職員は貫頭衣で仕事をしているそうな。その恰好のまま、出張で福岡に行ったら新興宗教団体と間違えられたそうです。!(^^)!ってはいけませんね。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2010-09-02 06:34 | 九州 | Comments(0)
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