京都錦秋編(19):光明院波心庭(09.12)

 靴を脱ぎ、和室を抜けて縁に出ると、眼前に「波心庭」が広がっていました。苔に覆われた大地が、まるで命を宿したかのようにうねっています。その低いところには白砂が敷き詰められ、まるでおだやかな海のようです。波打ち際の描く曲線がなんとも蠱惑的ですね。これは伝統的な庭園様式の「洲浜」を取り入れたものでしょう。そしてその地と海に点在する石たち、縦に長い立て石を多用しているため、上方へ動こうとするダイナミックな躍動感を庭全体から感じます。三尊石らしき石のトリオがいくつか見られるのは、これも伝統を意識した意匠でしょう。庭の縁を飾るサツキやツツジのもこもことした植え込みは、雲と見立てたのでしょうか。名残りの紅葉で染まった一本のモミジが、ささやかに庭を彩っていました。いいお庭ですねえ、二人で縁側に坐ってうららかな陽光を浴びながらしばし見惚れてしまいました。あの看板に恐れをなしたのか、知名度が低いためか、パックツァーの観光ルートに入っていないためか、それほど多くの訪問客はおらず、ゆったりとした雰囲気の中で楽しめたのも僥倖でした。
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 本堂と書院がL字に庭を囲んでおり、そのすべてに庭に面した縁があるので、千変万化する庭の表情をさまざまな視点から楽しめるのも大きな魅力です。あっちに坐ってはおっ、こっちに坐ってはほお、そっちに座ってはへえ、とあちこち場所を変えては感嘆の溜息をもらす二人。(冷え性の山ノ神は日当たりのよい場所に比較的長時間滞在) 普通お庭は、客の座る一点から見て鑑賞するように構成されますが、こちらは縁のつくりからみて、「どこから見てもきれいだよ」というコンセプトが貫かれているようです。中でも細い竹と蔓でモダンな意匠をほどこした丸窓(吉野窓)のある部屋からの眺めがいいですね。丸窓や障子や床などで庭の景色の部分しか見せないことによって、庭の造形の面白さが際立ちます。障子にガラスを入れたのも、それを計算した上でのことでしょう。"永遠のモダン"、何となくわかるような気がします。いやいや、もう能書きや駄弁や冗舌はやめましょう、視線の快楽、ただそれのみです。山ノ神がぽつりともらしました。「また来たい…」 そうですね、新緑の頃、ツツジやサツキが花咲く頃、小雨の降る日、雪の降り積もる日、ぜひ訪れましょう。
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 本日の八枚です。
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by sabasaba13 | 2010-12-09 06:28 | 京都 | Comments(0)
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