中山道編(4):茂田井宿(10.1)

 そして11:54、茂田井(もたい)宿に到着。ここは間の宿(あいのしゅく)と言って、望月宿と芦田宿の間に位置し、旅人の休み処としての機能をもっていたそうです。ということは、旅籠や本陣などもなかったのかな。また、1864(元治元)年11月19日、天狗党水戸浪士の中山道通過に際し、茂田井村が小諸藩兵士四百人ほどの拠点になったという記録もあるそうです。さて天狗党とは何か? まあ簡単に言うと、同年3月から12月にかけて起こった、水戸藩の尊皇攘夷派による挙兵事件ですね。藤田小四郎らの尊攘激派が藩の保守派と対立、関東各地で戦闘をくりひろげますが、幕府は追討軍を派遣してこれを鎮圧しようとしました。武田耕雲斎を長とする主流800余名は、当時京都にあった一橋慶喜を頼ろうとし、幕府追討軍・諸藩の兵と闘いながら西上します。下野、上野、信濃、飛騨を通り、越前まできて力尽き降伏、翌年、幕府の命によって約350人が斬罪になったという悲惨な事件です。これまで、武田耕雲斎と藤田小四郎の遺品を展示する水戸の義烈館、天狗党が栃木に来た時に駐屯した定願寺(栃木駅のそば)、天狗党に関する展示が豊富な下諏訪の民俗資料館、彼らが処刑まで押し込められたニシン蔵と処刑場跡のある敦賀と経巡ってきましたが、また一つ彼らゆかりの地と出会えました。長期間・広範囲にわたる転戦と激戦、いったい何が彼らを支えたのでしょうか。その凄惨な結末ともあいまって気になる歴史的事件です。
 さてそれでは茂田井宿を通り抜けましょう。道しるべにしたがって、左斜め方向に進むと、細い路地が続きます。やはりこれが旧中仙道の幅だったのでしょうか。やがてその両側に、土蔵や造り酒屋・古い民家が連なってきました。白壁、なまこ壁、格子窓、道の脇を流れる水路など、絵になる風情です。本日訪れた宿場の中で、ここが一番昔の雰囲気を残していました。とある造り酒屋の店先に若山牧水の歌碑がありました。「よき酒とひとのいふなる御園竹 われもけふ飲みつよしと思へり」「しらたまの歯にしみとほる秋の夜に 酒はしづかに飲むべかりけり」「ひとの世にたのしみ多し 然れども酒なしにしてなにのたのしみ」 酒を詠んだ歌三首、なかなか粋な酒屋さんでした。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2011-01-12 06:27 | 中部 | Comments(0)
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