中山道編(7):浅科村(10.1)

 さらに東へと歩くと、一里塚跡、そして御車寄(みまよせ)の大日如来という石仏がありました。ああそういえば、以前に江戸時代初期の新田開発によって開かれた五郎兵衛新田を拝見しに、このあたり(浅科村)を訪れ、この石仏を見た記憶があります。剛毅木訥としながらどこか愛嬌のあるお姿は変わっていません。
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 さて、これからどうしよう。予定では、塩名田まで歩き、バスで佐久平駅まで行こうと考えていました。しかし途中にあったバス停の時刻表を確認すると、この時間帯は二時間に一本。一時間半ほど歩けば、佐久平駅のある岩村田まで行けそうです。でもこれからの行程ではあまり見るべきものがなさそうだし、さすがに疲れたし… 「やってやれないこともある」というハクション大魔王の箴言に従いましょう。幸い、岩村田行きのバスが数分後にやってくるようです。(その次は二時間後) 火の見櫓と、千曲川にかかる中津橋から見渡せる雄渾な風景を写真におさめ、橋のたもとにある停留所でバスを待ちました。時刻は14:51、長久保宿から約五時間の小旅行でした。そしてやってきたバスに乗り込み、佐久平駅(小海線・長野新幹線)に到着。
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 なおこの小海線の沿線には、秩父事件参謀の菊池寛平の墓(北相木村)、秩父事件最後の激戦地(馬流)、中込学校(擬洋風小学校)、竜岡城跡(函館五稜郭とならぶ西洋式稜堡式城跡)といった見どころがあります。
 そして小海線に乗って終点の小諸へ。ここで長野行きのしなの鉄道に乗り換えです。「高校生の喫煙については学校・警察等に連絡し厳しく対処いたします。小諸駅長」という掲示を横目に、ホーム端にあった灰皿のところで一服。
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 到着した列車に乗り、二十分ほどで今夜の塒、上田に到着です。まだ日が明るいので、しばし街を散策しますか。おっとその前に上田の紹介、スーパーニッポニカ(小学館)から一部引用します。
上田。市街地は、1583年(天正11)上田に隣接する真田郷の豪族真田昌幸が築城し、形成された城下町である。上田城跡は千曲川に臨む段丘崖上にある平城で、本丸には3棟の櫓が残り、他は公園になっている。関ヶ原の戦いでは、真田昌幸・幸村は西軍に属し、徳川秀忠の西上を阻止したが、戦後は高野山に流された。長男信之は東軍に属し、城を継いだ。1622年(元和8)仙石氏、1706年(宝永3)松平氏と変わり明治に至った。近世はこの城下町と、城下を通る北国街道の宿駅として発展した。
明治以後は信州の代表的養蚕、製糸業の町になり、このため大正時代には、国立の上田蚕糸専門学校(現信州大学繊維学部)が設置されている。第二次世界大戦後は製糸工場の建物を利用して首都圏からの工場疎開が多く、これを基盤に電機や輸送機械部品工業が発達した。
 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2011-01-15 06:28 | 中部 | Comments(0)
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