中山道編(11):松代(10.1)

 おっそろそろ発車時間が迫ってきました、駅へと戻りましょう。列車に乗り込み、十三分ほどで松代駅に到着です。「定期券拝見」「列車遅延のお知らせ」といった手書きの看板、雪をかぶった質朴な駅舎に、旅愁をかきたてられます。
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 さて松代の紹介をしましょう。スーパーニッポニカ(小学館)から引用します。
 松代。戦国末、甲斐の武田氏が信濃北部攻略の際の根拠地とした海津城が置かれた。近世は真田氏10万石の城下町として発展し長野盆地の中心となった。明治以降、信越線の敷設が松代を外れ、長野が県都になったため町勢は衰退した。国の史跡に松代(海津)城跡、松代藩文武学校、菩提寺(長国寺にある真田家墓所)があり、このほか真田邸跡、佐久間象山邸跡などが残り、城下町の景観が各所にみられる。
 つけくわえるならば、松代大本営のためにつくられた巨大な地下壕も残されています。もひとつつけくわえると、松井須磨子の生誕地でもあるのですが、地元ではあまり評判がよくないようで、ガイドブックにも載っていません。駅前には「汽車ポッポ」の記念碑がありました。作曲者の草川信が長野市出身だそうです。そのとなりには「あいさつで知らない人も友達に」という標語がありました。その意気やよし! 「あの人は何か変だぞ110番」という、かつて長崎県大村市で見かけたえげつない標語の対極にありますね。そして駅の近くにある停留所で、長野行きバスの時刻表を確認、一時間に二本程度あるので安心です。
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 それでは町を散策しましょう。まず松代藩次席家老の小山田家住宅、冠木門の脇に、来客を確認するための番所が設けられています。そして観光案内所で地図をもらい、旧文武学校へと向かいます。白壁、和風家屋、そして山なみと、それらを飾る雪化粧がきれいですね。そして旧文武学校に到着、1855(安政2)年に開かれた藩校です。その当時の建物がほぼ完全な形で残っているのは貴重ですね。その前には寒さに凍えながらも毅然として下界を睥睨する火の見櫓がありました。
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 すこし歩くと、道の脇に凍てつく水路があらわれ景観に変化を与えています。そして佐久間象山を祀る象山(ぞうざん)神社へ。松代といえば佐久間象山(1811‐64)ですね、兵法家にして松代藩士。1839(天保10)年に江戸で塾を開き、西洋兵学を勝海舟坂本龍馬吉田松陰らに教えましたすが、ペリー来航時に松陰の密航企画に連座して処罰されます。東洋の道徳と西洋の芸術(科学技術)の融合や貿易・海外進出論を唱え、幕府の命を受けて上京し公武合体・開国進取を説いてまわったため、尊攘派の怒りを買い暗殺されてしまいます。なお横浜の野毛山公園に彼の顕彰碑が、京都高瀬川のあたりに旧居跡があったことを記憶しています。神社の境内に入ると、まず彼が蟄居していた際に来客を接待し国家の時勢を論じたという高義亭が保存されています。坂本龍馬もここを訪れたとのこと、龍馬ファンはお見逃しなく。雪をいただいた本殿や狛犬、雪の花を咲かす木々、それらを水面に映す小さな池、なかなかフォトジェニックな光景です。
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 鳥居の脇には、彼が京都で使っていた茶室「煙雨亭」が移築保存され、その奥には旧居跡・生誕地跡の碑がありました。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2011-01-22 08:01 | 中部 | Comments(0)
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