中山道編(12):松代象山地下壕(10.1)

 象山神社からさらに歩を進めること数分で、松代象山地下壕、いわゆる松代大本営の入口に到着です。アジア・太平洋戦争の末期に、昭和天皇や皇族・軍部と政府の中枢および三種の神器を空襲から守るために作られた巨大な地下壕ですね。地下壕掘削の中心となったのは、強制連行された方々をふくむ約六千人の朝鮮人でした。過酷な労働、事故、栄養失調、自殺、射殺などで数百人が犠牲になったと推定されています。さらに「慰安所」が設けられ、朝鮮の女性数人がいたことも付記しておきましょう。もちろん、工事への動員や強制立ち退きなので、地元の人々も大きな負担を強いられました。
 ふだんは内部を見学できるのですが、本日はお正月のため中には入れません。以前にガイドを依頼してこの壕や天皇の御座所予定地などをまわったことがあるので、今回は入口を見るだけでよしとしましょう。山の斜面に穿たれた地下壕、金網越しに覗き込むと、すべてを飲み込み溶かし込んでしまいそうな漆黒の闇が奥へと続いています。
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 沖縄戦で民衆を犠牲にして時間稼ぎをしながら、多くの朝鮮人を酷使してつくらせたこの地下壕により、誰を守ろうとしたのか? 権力者と、その力の源泉である天皇制というシステム、およびそのシンボルである三種の神器だったのですね。ちなみに敗戦後長野を訪れた昭和天皇が、長野県知事に「この辺に戦時中無駄な穴を掘ったところがあるというが、どのへんか?」と尋ねたそうです。彼はこの地下壕のことを知らなかったといっていますが、違いますね。『木戸幸一日記』(1945.7.31)に、「(三種の神器を)信州の方へ御移することの心組で考へてはどうかと思ふ」とあります。なお彼に関しては、「昭和天皇」(原武史 岩波新書1111)と 「昭和天皇の軍事思想と戦略」(山田朗 校倉書房)の書評を参照してください。
 入口脇には、「朝鮮人犠牲者追悼平和祈念碑」と、長野地区労働組合評議会が建立した「不戦の誓い」という碑がありました。
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 すぐ近くには、以前来た時にはなかった「もうひとつの歴史館・松代」という資料館ができており、強制連行や慰安婦に関する展示があるようですが、残念ながらお正月で休館。"もうひとつ"という言葉には、「官製ではない」という意が込められているそうです。さてそれではバス停に向かいましょう。近くの民家には、彩色された大黒様の鏝絵がありました。
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 象山記念館、旧横田家住宅の前を通り、火の見櫓銭湯「児玉乃湯」を撮影。
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 そして十数分ほど歩くと、1801(享和元)年につくられた旧松代藩鐘楼があります。併設されていた火の見櫓は、残念なことに明治初期に取り壊されてしまったそうです。なお佐久間象山がこの鐘楼を利用した電信実験に成功したので、「日本電信発祥之地」という記念碑もあります。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-01-23 07:16 | 中部 | Comments(0)
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