大逆事件

 今日は大逆事件の死刑執行からちょうど100年目にあたります。ウィキペディアによると、1911年1月24日に幸徳秋水、森近運平、宮下太吉、新村忠雄、古河力作、奥宮健之、大石誠之助、成石平四郎、松尾卯一太、新見卯一郎、内山愚童ら11名が、翌1月25日に管野スガが処刑されました。(なぜ彼女だけ翌日だったのでしょう。理由はわかりませんが、死に際してまでも女性を差別/区別する心性が官僚たちにあったのだろうと推測します) 特赦無期刑で獄死したのは、高木顕明、峯尾節堂、岡本一郎、三浦安太郎、佐々木道元の5人。仮出獄できた者は坂本清馬、成石勘三郎、崎久保誓一、武田九平、飛松与次郎、岡林寅松、小松丑治。犠牲者の冥福を祈り合掌します。100年かあ、それ以後、日本はすこしは良い方向に変わったのでしょうか。
 この事件の概要については、以前にも書きましたが、あらためて岩波日本史辞典から引用します。
 初期社会主義運動の大弾圧事件。社会主義運動への抑圧に抗して管野スガ・宮下太吉らは明治天皇暗殺を企図した。取締当局は1910年5月宮下の爆裂弾実験を端緒に幸徳秋水につづき全国の社会主義者数百人を検挙、刑法第73条の大逆罪容疑で26人を起訴。12月からの大審院の公判は一審・非公開で、翌11.1.18死刑24人・有期懲役2人の判決を下す。翌日天皇の特赦で12人を無期懲役に減刑,欧米各国の抗議のなか同24日・25日処刑した。管野・宮下ら4人の暗殺計画はあったものの、それ以外は冤罪であり、社会主義運動は<冬の時代>を強いられた。
 この事件が意味するものは、天皇制を否定する社会主義者・無政府主義者への容赦のない苛烈な弾圧、そうした政府による思想統制や冤罪事件に対する知識人の無力と傍観だと思いますが、今、あらためて考えたいのはこの事件を捏造し彼らと彼女を死に追い込んだ官僚たちのことです。己の権力や地位の源泉である天皇制を死守するため、なりふりかわまず手段を選ばず、それに異を唱える者を破滅させる官僚たち。ある意味では、日本の近代史は(現代史も?)、官僚たち(※もちろん軍人を含む)が自らの権益を守るための歴史として描けるのではないでしょうか。そして政治家に対する不信感が沸騰する今、それを隠れ蓑にして暗躍するかもしれない官僚たちの動きに注視したいものです。浜口雄幸首相が狙撃された現場でせせら笑った警官(駅員?)のように民衆が政治家を軽侮した結果、軍部官僚と革新官僚が手を取り合って日本をどこへ導いていったかを忘れるべきではないでしょう。官僚は国家権力をバックに何をしでかすかわからない存在であるという冷徹なる事実を銘肝すべきです。そしてそれを抑止する重要な役目が政治家にあることも。よって政治家に対する全き不信感はちょっと心配な兆候ですね。「すべてを疑うか、すべてを信ずるかは二つとも都合のよい解決法である、どちらでも我々は反省しないですむからである」(ポアンカレ)

 なお、戦後、生き残りの坂本清馬と、死刑になった森近運平の妹森近栄子が、1961年、東京高等裁判所に再審請求を出しましたが、65年に請求棄却され、最高裁への特別抗告も67年に棄却されたという事実を付言しておきます。官僚はまず自分を守り、次に自分の仲間と給料を払ってくれる組織を守り、最後に国民を守ることがあるかもしれない…

 これまで明科新宮湯河原大平台市ヶ谷正春寺土佐中村古希庵函館市文学館雲魚亭といった大逆事件関連の史跡等を歩いてきました。よろしければご笑覧ください。

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by sabasaba13 | 2011-01-24 06:30 | 鶏肋 | Comments(0)
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