中山道編(13):川中島古戦場(10.1)

 そして駅前に戻り、長野行きのバスに乗ること十分ほどで川中島古戦場に到着です。しょぼいとはいえ、市井の一歴史学徒、やはりこの目で見てこの足で踏みしめこの胸でその空気を吸いたかったんだよお。なお川中島の戦いとは、武田信玄と上杉謙信が信濃の領有をめぐって、水内郡川中島で1553(天文22)年から64(永禄7)年まで争った合戦です。謙信の出兵の名目は信玄の信濃侵略にさらされた小笠原長時や村上義清などの救援にありましたが、信玄の信濃領有が自らの本拠地春日山を脅かすことへの懸念もあったでしょう。大きな戦いだけで5度あり、特に有名な61(永禄4)年9月の合戦では信玄と謙信が一騎打ちしたとの俗説があり、この時、信玄の弟信繁が討死しています。合戦の場所は徐々に北上し、結果的には武田氏がほぼ信濃全域を領有することになりました。さてバス停留所「川中島古戦場」で降り、車道を渡ると、八幡原史跡公園として整備されていました。信玄と謙信の一騎打ちを再現した両雄の銅像や記念碑を見学。
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 雪が一面に降り積もった公園を眺めながら、"鞭聲肅肅夜河を過る"とうなろうとも、小生詩吟はまったくできませんのでパス。奥の方には私立博物館がありますがもちろん休館でした。長野行きバスは三十分後にさきほどの停留所に来るので、そうのんびりもできません。でもあまりにも雪景色がきれいなので、雪中行軍をしながら移動して山なみや木々や湖水を撮影。そして停留所へ戻りやってきたバスに乗り込みました。
 善光寺までは行ってくれないので、途中の「かるかや山前」で下車。川中島古戦場から四十分ほどかかりました。すぐ近くにあるのが苅萱山西光寺、謡曲や説教節の題材となった苅萱上人と石童丸の終焉の地という伝説があります。今でも掛け軸を使った絵解き(文字が読めない民衆のための絵画を使った説法)が行われているそうです。
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 二人の銅像とお墓を見学。
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 境内には芭蕉の句碑「雪ちるや穂屋のすすきの刈残し」と一茶の句碑「花の世は仏の身さえ親子哉」がありました。
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 ここから善光寺まではゆるやかな上りの一本道。交差点から左の方角を眺めると、雪をまとった山々がすぐそこまで迫っています。古美術植木商店の店先では二宮金次郎の銅像をゲット。背負っているのは薪ではなくて柴、持っている本にはちゃんと「千字文」が刻んである正統派の逸品です。青葉小学校(静岡県静岡市)のものと並び賞されてしかるべきでしょう。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2011-01-25 06:27 | 中部 | Comments(1)
Commented at 2011-02-10 18:25 x
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