中山道編(15):上田(10.1)

 さて時刻は午後一時、帰りの新幹線は上田発15:23なので、上田で昨日見残したところを多少は探訪できそうです。停留所「善光寺大門」からバスに乗って長野駅へ、幸い連絡が良く、すぐにしなの鉄道に乗り込むことができました。そして四十分強で上田駅に到着、なんだかんだ言って二時半になってしまいました。「行々てたふれ伏とも萩の原」、力の限り行けるとこまで行きましょう。まずは駅前から走る国道141号線沿いにある戦前の物件らしき洒落たビルを撮影。近くにあった「交通安全足型(仮称)」は、小さなモザイクで作られた手の込んだものです。
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 そして右手の路地に分け入り、海野町の方へ向かいます。ある民家の屋根には尖った突起が二つ乗っていましたが、安曇野で見かけた「雀おどし」(米などの穀物を食い荒らす雀を猛禽類の形で脅すため)のバリエーションなのでしょうか。ご教示を乞う。そしてキッチュなデザインの上田劇場を発見。こういう街のランドマークはぜひ残していただきたいですね。
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 その前には「どん底」という名のバー、隅に描かれたムンクの「叫び」がいいスパイスになっています。そして海野町界隈に着きましたが、白壁の土蔵や商家が数軒あるだけで、それほどの風情はありません。もうすこし先に行けばまた違う雰囲気なのかもしれませんが、そうのんびりとはしていられません。
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 適当なところで右折して大通りに出て、常田二丁目の信号を右に行くと常田館(ときだかん)がありました。上田を代表する製紙会社、笠原工業が1909(明治42)年に建てた洋館で、絹の資料室として製糸業界の資料を展示しているそうです。その向かいにある工場の敷地内には、繭蔵がありました。残念ながら接近はできませんが、やけに丈の低い四階建ての木造倉庫であることはわかります。藤森照信氏の「建築探偵 神出鬼没」(朝日新聞社)によると(p.169)、平地の少ない信州では、繭を収納する倉庫をどんどん多層化・高層化していったそうです。中には五階建て・六階建てのものもあるとか。きわめて軽量の繭だからこそできる芸当ですね。いずれにせよ日本の近代化を支えたのはこの毛虫の分泌物です。貴重な歴史の証人、近代化遺産として、保存されることを切に望みます。
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 さてここでタイム・アップ、ほんとはこの先にある全国唯一の官立蚕糸専門学校にして、養蚕・製糸に関する研究と指導者育成のための高等教育施設だった信州大学繊維学部の講堂(1929年竣工)を見たかったのですが、行けそうにありません。潔く撤退しましょう。駅に戻る途中で洒落た洋館を発見。またこのあたりにあった「交通安全足型」は点字ブロックに白く細長い楕円を二つ描いたシンプルなものです。さきほどの物件との落差が大きいですね。
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 駅前に着き、昨晩宿泊したホテルのトイレに駆け込むと、個室の壁にたどたどしい漢字で「一歩前へ出て、清掃する方の身なって下さい。」という貼り紙がありました。外国人労働者の方が書かれたのでしょうか。そこに誰かが正確な漢字を書き込んで訂正しています。悪意ではなく、親切心によるものだと信じたいのですけれどね。そして上田駅に到着、ホームの窓から上田の街と山なみに別れを告げ、定刻通り入線してきた新幹線に乗り込み、帰郷の途につきました。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-01-27 06:07 | 中部 | Comments(0)
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