目白編(4):トキワ荘跡(10.1)

 病院の近くにある路地の突き当たり、「佐伯公園」の中に、佐伯祐三が建てたアトリエが保存されています。そういえば、彼は「落合風景」シリーズを描いていましたっけ、このあたりだったんだ。ただ残念ながら2010年4月27日まで改修工事のため閉鎖、再訪を期しましょう。その途中にあったのが「メゾン・ノア・ノア」という、外観は何の変哲もない普通のアパート。たしかポール・ゴーギャンのタヒチ紀行文の書名でしたね。今調べてみると、マオリー語で「香気ある、芳しい」という意味だそうですが、命名者の意図を知りたいところです。
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 そして目白通りに出てしばらく歩くと、山手通りとの交差点付近でまたまたトンガリ物件をゲット。地形が複雑なだけに、このあたりはトンガリ物件の宝庫のようです、くもみちゃん。さらに目白通りに沿って歩を進めると、「ニコニコ商店街」に到着。
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 そう、漫画の聖地、トキワ荘があったところです。商店街を歩くと古い商店も見かけますが、看板を剥ぎ取った跡が痛々しい仕舞た屋も散見されます。
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 しばらく歩くと右手の路地に"「トキワ荘」跡入口"という立て看板がありました。突き当りを左へ、そして右へ曲がり、右手にある日本加除出版のあたりにあったそうです。
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 ウィキペディアによりますと、日本の漫画の萌芽期に、当時の漫画雑誌出版社である「学童社」が、自社の雑誌で連載を持つ漫画家の多くをトキワ荘へ入居させたのがその嚆矢です。1953年に「学童社」の勧めで手塚治虫が入居(約2年で転居)、その間にも学童社が漫画家を相次ぎ住まわせた為、漫画人や漫画文化の溜まり場ともなったことにより、「漫画界の梁山泊」と言われました。でも多くの漫画家はすぐに住まいを他所へ移したため、漫画家が大勢で生活していたという実質の期間は比較的短いそうです。実際に居住していた漫画家は、手塚治虫、寺田ヒロオ、石森章太郎、赤塚不二夫、藤子不二雄、水野英子、鈴木伸一、森安なおや、よこたとくお、つげ義春、山内ジョージです。
 ニコニコ商店街をさらに進むと左手にある南長崎花咲公園に、トキワ荘の記念碑がありました。さてそろそろお腹がへってきましたが、せっかくなのでトキワ荘の住人たちが寄りそうなお店を捜してみましょう。トキワ荘に入る路地のあたりに「松葉」という中華料理屋があったので近寄ってみると、戸のところに藤子不二雄の自伝マンガ「まんが道」の一場面、住人たちが美味しそうにこの店のラーメンを食べているところを描いた絵が貼ってありました。そして、ここはトキワ荘の漫画家御用達の店で、小池さんのラーメンのモデルとなったというスポーツ新聞の記事も貼ってあります。こりゃあぜひ覗いてみたいといそいそと入店、カウンターのところには漫画家たちの色紙が所狭しと貼ってあります。さっそくラーメンと餃子を注文、東京風醤油味のなかなかおいしいラーメンでした。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-02-02 06:19 | 東京 | Comments(0)
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