目白編(5):林芙美子記念館(10.1)

 そして林芙美子記念館をめざして中井方面へと歩を進めます。このあたり、中落合二丁目の一部、中落合三~四丁目は、1922(大正11)年以降開発された、目白文化村という郊外住宅地です。なおその主体となったのは、堤康次郎(ピストル堤)が経営する箱根土地だそうです。空襲のため、高級住宅地という往時の俤は灰燼に帰してしまったようですが、それでも閑静で落ち着いた雰囲気につつまれた界隈です。ところどころで見かける古木が、その歴史の証人なのでしょうか。子どもたちがローセキで遊んだ跡もあり、想像力をはばたかせるキャンバスとしての路地がいまだ生きていることに感銘。
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 そして地図を片手に右往左往しながら、林芙美子記念館へと続く四の坂に到着。三浦さんっ、この坂はいいですよ。眺望がよくないのは難ですが、急な石段、その両側の石塀とおおいかぶさる木々、その景観は私が東京で見てきた坂の中で五本指に入ります。四の坂を下りて右手にあるのが林芙美子記念館。
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 『放浪記』『浮雲』などで知られる作家・林芙美子が、1941(昭和16)年8月から1951(昭和26)年6月28日にその生涯を閉じるまで住んでいた家が保存されています。芙美子は新居の建設のため、建築について勉強をし、設計者や大工を連れて京都の民家を見学に行ったり、材木を見に行ったりするなど、その思い入れは格別だったそうです。入口にあった解説によると、家をつくるにあたって彼女はこう言っています。
 まづ、私は自分の家の設計図をつくり、建築家の山口文象氏に敷地のエレヴエションを見て貰って、一年あまり、設計図に就いてはねるだけねって貰った。東西南北風の吹き抜ける家と云ふのが私の家に対する最も重要な信念であった。客間には金をかけない事と、茶の間と風呂と厠と台所には、十二分に金をかける事と云ふのが、私の考へであった。
 なるほどねえ。風がよく吹き抜け、茶の間・風呂・厠・台所に金をかけた家か。澱むことを嫌い、地に足のついた暮らしを望んだのでしょう。彼女らしい選択だと思います。

 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-02-03 06:16 | 東京 | Comments(0)
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