丹波・播磨・摂津編(3):龍野(10.2)

 朝起きてカーテンをあけると、お天道さまが微笑んでおられます。本日は龍野と篠山を逍遥して篠山に泊まる予定、ちょっとタイトな行程なので朝食も食べずに行動を開始しました。姫路駅に行き、コインロッカーに荷物を預けて身軽となり、7:28発の姫神線播磨新宮行き列車に乗り込みます。そうそう老婆心ながら、山陽本線の竜野駅と姫神線の本竜野駅を間違えないようにしましょう。前者で降りると、タクシーで三十分ほど移動するはめになります。そして、三十分弱で本竜野駅に到着、駅にはコインロッカーがなく姫路駅で預けておいて正解でした。駅前には観光案内所はありますが、まだ開いておりません。これも想定内、コピーしてきたガイドブックの地図を頼りにして、駅から徒歩で二十分ほど離れた龍野をめざし歩きはじめます。
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 それでは龍野の紹介、スーパーニッポニカから抜粋して引用します。
 兵庫県南西部にある市。開発の歴史は古く、先土器時代の遺跡も知られ、ことに古墳には副葬品で注目される西宮山古墳などがある。古代には山陽道と美作道の分岐する要地となり、市域全体に条里制の遺構が分布する。城下町としての歴史は赤松氏が文明年間(1469~87)に揖保(いぼ)川右岸の鶏籠山上に築城したことに始まる。その後、城は山麓に移され、龍野藩脇坂氏5万3000石の城下町として繁栄した。鉄道から外れて近代的都市化が遅れたため、播磨の小京都とよばれた城下町時代の町並みが保存され、現在は積極的にその歴史的景観の保全に努めている。
 産業は地場産業の比重が大きく、しょうゆ、そうめん、皮革の製造が中心である。消費都市的性格が強く、商業と住宅地は揖保川の川西から川東へ進出し、官庁街とともに新しい市街地を形成しつつある。三木露風、三木清らの資料を展示する霞城館、しょうゆ醸造の過程を示す、うすくち龍野醤油資料館がある。文学の小径を龍野公園に訪ねる人も多い。
 駅のとなりでは、新しい駅舎を建設している最中です。駅前には「宮本武蔵 修練の地 龍野」という看板がありました。せっかくなんだから、顔はめ看板にしてくれればいいのに。んもう気が利かないんだからあ、い、け、ず。
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 ここ本竜野駅から龍野の町までは、見るべきものもない新市街地なのかなと思っていましたが、どうしてどうして。怪しげなバルコニーのあるお宅、古い旧郵便局、多角形の塔が付随した洋館など眼を惹かれる古い建物が随所に残っていました。おっひさしぶりに「こばた」物件をゲット。小幡西舞鶴御手洗につづいてこれで五件目です。
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 途中には、「播磨国風土記」にも記されている石見用水とその解説板がありました。その近くには素麺「揖保の糸」のビル、ここ龍野でつくられていたのですね。
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 交差点を渡ると、「あなたらしさの家づくり 有限会社バウハウス」とドアに記された小さなビルを発見。1919年、建築家ワルター・グロピウスによってワイマール(後にデッサウ→ベルリン)に設立され、新時代へ向けての工芸・デザイン・建築の刷新を図ろうとした建築・美術・工芸学校を模したものですね。私の大好きなパウル・クレーも教鞭をとったことがありました。具体的な仕事ぶりについてはわかりませんが、その志はいいですね。壁面に掲げられた"BAUHAUS"のロゴも、デッサウ校舎のそれとくりそつでした。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-02-09 06:17 | 近畿 | Comments(0)
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