丹波・播磨・摂津編(15):山邑邸(10.2)

 さて、ここヨドコウ迎賓館は、帝国ホテルの設計依頼を受けて来日した(1915‐1922)ライトによって、神戸・灘の酒造家である山邑家の別邸として設計されました。実施設計と監理はライトの弟子である遠藤新、南信によって行われ、1923(大正12)年から翌年にかけて建設されました。それでは中に入ってみましょう。門から奥へと続くアプローチの右手には石垣、その上の小高い敷地に木々の間から建物がちらちらと垣間見えます。ああ気をもたせないでえ、このいけず。建物の全貌をちらつかせながら、エントランスへと導く演出なのでしょう。そして最も奥まったところで、ぱあっと視界が開け、車寄せと玄関がその姿をあらわします。ああライトだ…
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 周囲の地形や景観との調和、水平線を強調したデザイン、大きな窓、そして装飾模様を型付けしたコンクリート・ブロック。なおこれについては、「コンパクト版建築史 【日本・西洋】」(彰国社)に興味深い記述(p.140)がありましたので、紹介しましょう。前述のように、帝国ホテル建設のために来日した頃、ライトはタリアセンの焼失やスキャンダルによる社交界からの追放で、経済的に困窮していました。そこで彼は装飾模様を型付けしたコンクリート・ブロックの開発に活路を見出し、透かし細工やマヤ装飾をモチーフとしたブロック製の建築を建て、それが中期作品の特徴となったそうです。
 ピロティのような車寄せに入ると、左手と正面から神戸の町や港を一望できるようになっています。素晴らしい眺望ですね。彫刻された大谷石がまるで額縁のように風景を切り取っていました。
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 このあたりの壁にとりつけられた灯りの洒落たデザインは統一されており、彼の手によるものでしょう。「自然の家」(ちくま学芸文庫)の中で、ライトは「すべてのしつらえが建築の統合的な一部分となるよう、できる限り造り付けにした(とくに電灯と暖房器具は必ずそうした)。また家具も建物の一部とし、その場に釣り合うよう、できる限りデザインすることにした」(p.38)と語っています。そして右手が玄関、中央に大谷石製の大きな水盤がありますが、ライトの水に対する関心と愛情がうかがえます。こうした想いが後に「落水荘」として結実したのかもしれません。あるいは茶室の蹲を模したのかな、だとしたら遠藤新による示唆があった可能性もありますね。ドアについている一枚の飾り銅版は、植物の葉を意匠したもの。このモチーフが、やがて建物の各所で華麗な変奏曲を奏でることになります。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2011-02-24 06:21 | 近畿 | Comments(0)
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