この廊下に沿って和室が並びますが、これは施主の要望によって取り入れられたそうです。ライトはもともと和室をつくる気はなかったようで、よってここは遠藤新や南信が中心となって設計したのかもしれません。なお私が行った時には、山邑家の当主が京都の老舗「丸平」の三代目大木平蔵につくらせた雛人形が展示されていました。そして応接室とならぶもう一つの白眉が、四階の食堂です。まず眼についたのが宝形造りのような、四角錐をした屋根裏。そこに幾何学的な意匠に細長く黒い木材が取り付けられています。壁面上部に並んだ、採光・通気のために細長い三角形の小窓がチャーミングですね。ただ大きな窓がないために、さきほどの応接室にくらべるとやや閉ざされた空間という印象を受けました。プライベートな場ということを意識したのでしょうか。
そして葉をモチーフにした飾り銅版がしつらえてあるドアを抜けると、広々としたバルコニーに出られます。(嗚呼やっと写真が撮れる) 素晴らしい眺望を楽しみながら、食後のひと時を過ごしたり、ガーデン・パーティーを開いたりできるよう、設計してあるのですね。ふりかえって食堂のある四階部分を見ると、この建物がさまざまな装飾で飾られているのがよくわかります。軒先に配された大谷石や庇に施された飾り石、そしてモチーフでもありアクセントでもある葉の飾り銅版。モダンな形の煙突さえも装飾に見えてきます。
突き当りにはアーチつきの階段があり、ここをくぐって降りるともう一つ小さなバルコニーがあります。このアーチは狭くて天井が低くなっていますが、これも応接室の入口などと同じように、狭い空間を抜けた先に開ける広い空間を強調するための演出ですね。
以上、拙い語りですが、この建物の素晴らしさの万分の一でもお伝えできたかどうか心許なく思います。百聞は一見に如かず、ぜひ訪れてみてください。今日は、浄土寺浄土堂と山邑邸という二つの優品に出会えてほんとうに幸せです。"祈り"の場である前者と"暮らし"の場である後者。時代状況による技法や素材の違いはありますが、「末永く真剣に祈りたい」「末永く快適に暮らしたい」という人々の思いを真摯に受け止めて、それを十全なる努力で実現しようとしたことが、この二つの傑作を生んだのだと思います。それにしても、ライトが提唱した有機的建築に住んでみたいものですが、いかんせん、われわれのまわりにはびこっている家は、"こうした「おうち」のどれでもひとつ引っこ抜けば、その分風景は改善され、空気は清々しくなっただろう。こうした家は、人間の住まいというより、巣箱とでも形容したほうがよい"と彼が皮肉るようなものばかりです。[『自然の家』(p.12)] えっ、費用がかかるのではないかって。いやいや、最新技術を駆使すれば、そうした理念をある程度具現化した廉価な家ができるはずだし、実際、ライトもそれを試みています。利潤のための爪牙に陥っている科学を、人間に仕える従者として取り戻さなければなりません。「ガリレイの生涯」(岩波文庫)の中で、
ベルトルト・ブレヒトはガリレイにこう言わせています。「私は科学の唯一の目的は、人間の生存条件の辛さを軽くすることにあると思うんだ。(p.192)」
本日の三枚です。