丹波・播磨・摂津編(21):布引五本松ダム(10.2)

 その先にあるのが兵庫県公館、1902(明治35)年に建てられたフランス・ルネサンス様式の兵庫県本庁舎です。ただ1945(昭和20)年の戦災で外壁だけを残して焼失、内部を復旧して現在は県の迎賓館として使われているそうです。
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 その前には「神戸小学校発祥の地 開校明治17年12月12日 閉校平成2年3月31日」という記念プレートがありました。合掌。その近くには坂道で車椅子を押す人を描いた標識があり「こう配6% 助け合いましょう」と記されていました。坂の多い神戸では、ハンディキャップのある方は大変でしょう。ご苦労が偲ばれます。
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 さてそれでは布引五本松ダムへと向かいますか。県庁前駅から地下鉄山手線に乗り、新神戸駅で下車、地下道を抜けて十分弱歩くと新神戸ロープウェー「北野一丁目駅」に到着です。調べたところによると、途中にある「風の丘駅」で下りて十分ほどでダムに着けるようです。切符売り場で「風の丘まで片道一枚」と注文したら、怪訝な顔をされました。そりゃそうだよねえ、恋人と二人で「布引ハーブ園」までの往復切符を買い、展望レストランで美しい夜景を見ながら食事をし、ロープウェーでおりてきて、ホ×××し××××ち××××うのが、健全でまともな人生というもの。(筆者注:12月~6月は17:00で閉園) こんな薄汚れて貧相なおじさんが、途中駅までの片道切符を頼んだら、貧苦の末の自殺か、深夜の麻薬取引かと疑うのは当然でしょう。「ちゃうちゃう、ダムを見た後、布引の滝を見ながら歩いて戻ってくるつもりですねん」と説明するのも面倒なので、四肢にからみつくような疑惑の視線を振り払い、四人乗りゴンドラに乗り込みました。おおっ、やがて神戸の街並みや港や海が眼下にひろがっていきます、絶景かな絶景かな。そして左手に目を移すと、神戸人を潤す水を健気に力強く湛えるダムが見えてきました。きっとあれが布引五本松ダムですね。
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 風の丘駅でゴンドラから降り、係員の方にダムへ行く道を教えてもらいました。布引ハーブ園の敷地内から門扉をくぐりぬけ車道に出ると、詳細な案内地図があったので一安心です。すこし先にある、羊腸の如くくねる細い坂道を降りると数分で布引貯水池のほとりに到着です。
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 なおこちらには「布引断層」という解説板がありましたが、地学に関しては天神様に見離された私、どれが断層だか視認できませんでした。
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 そしてダムに沿うように階段が整備されており、至近距離からなめるようにダムを見ることができます。「近代化遺産を歩く」(増田彰久 中公新書1604)の解説(p.60)を紹介しましょう。この布引五本松ダムは、日本で最古(1900)の重力式コンクリートダムです。当時、コレラに悩まされていた神戸はその対策として、上水道施設とこのダムを計画しました。その際、日本初の近代的ダムである長崎の本河内高部(ほんごうちこうぶ)ダムを設計し見事な成果を納めた技師の吉村長策を招いて設計を依頼します。型枠として自然石を積んで、その中にコンクリートを流し込むという工法をとりますが、その自然石が時代を経てまわりの自然と一体化し、今ではほとんど自然の一部と見紛うほどです。今でも現役選手として、神戸の人たちに安全でおいしい水を提供し続けています。1995年の阪神・淡路大震災が起きても、すこし水もれが出た程度で、いかに先人たちがしっかりとした仕事をしていたか、見事に立証してくれました。以上、増田氏の言ですが、まっことその通り。自然の一部、あるいは古城の城壁のように、景観にとけこんだその威容には圧倒されます。ほんとうにみんなの役に立ち、丈夫で、景観を壊さないダムをつくろうという高い志がびしびしと伝わってきます。ただ役所の予算を消化し、決定責任者の責任を回避し、土建業者の懐を潤すために乱建設する昨今の凡百のダムとは、雲泥の差です。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-03-05 08:05 | 近畿 | Comments(0)
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