丹波・播磨・摂津編(24):御影公会堂(10.2)

 さていよいよ最終日です。あいにくと天気は小雨模様。でも気が滅入るような豪雨ではないのでよしとしましょう。今日のメインディッシュは旧甲子園ホテル、内部の見学が中心だし、建築に関してはかえって陽光がない方がリアルな写真が撮れるとアンリ・カルティエ=ブレッソンも言っていることだし(言ってない言ってない)、と引かれ者の小唄を歌いながら三宮駅へ。甲子園会館での集合時刻は午前十時、それまでに唾をつけておいた諸物件を経巡りましょう。元町駅の近くには、神戸事件の碑がある三宮神社がありますが、今後の行程がタイトになってしまうので省略。まずは阪神梅田行きの阪神電鉄に乗ること十分弱、石屋川でおりて御影公会堂の見学です。平日の午前七時半だというのに車内は意外なほど空いています。これで経営は大丈夫なのかしら、と心配してしまいます。石屋川駅で降りると、周辺地図がありません。駅員さんに訊ねると北に歩いてすぐとのことでした。傘をさして数分歩くと、魁偉というかユニークというか、とにかく印象的な風貌の御影公会堂が屹立していました。屋上にある、円柱に支えられた円形の部分はいったい何なのだろう???
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 ちなみに、1933(昭和8)年、地元の酒造家・嘉納治兵衛氏(白鶴酒造の創業者)の寄附によって建てられた公会堂です。当時厳しい経営が続いていた白鶴酒造を見事な経営手腕で立て直した彼は、会社を育ててくれた地域への感謝という思いがあったようです。他にも中国陶磁器の世界的コレクションを集めた白鶴美術館や、灘五郷の名門・桜正宗や菊正宗などと共同で灘中学校を設立しています。設計は清水栄二氏、耐震構造を重視した強靭な建築であったため、戦争での空襲や阪神・淡路大震災の強烈な揺れにも耐え抜きました。そういえば、神戸空襲の中で焼け残った御影公会堂を、野坂昭如氏が「火垂るの墓」(新潮文庫)の中で印象的に描いています。澱みながら右往左往する主人公の意識の流れを追うような、句点の少ない独特な文体にもご注目を。
 上ってみると御影第一第二国民学校御影公会堂がこっちへ歩いてきたみたいに近くみえ、酒蔵も兵隊のいたバラックも、さらに消防署松林すべて失せて阪神電車の土手がすぐそこ、国道に電車三台つながって往生しとるし、上り坂のまま焼跡は六甲山の麓まで続くようにみえ、その果ては煙にかすむ、十五、六カ所でまだ炎々と煙が噴き出し、ズシーンと不発の発火か時限爆弾か、かと思えば木枯しのような音立ててつむじ風がトタン板を宙にまき上げ、節子の背中にひしひしとしがみつくのがわかったから、「えらいきれいさっぱりしてもたなあ、みてみい、あれ公会堂や、兄ちゃんと雑炊食べにいったろ」話しかけても返事がない。(p.16)
 なおこの公会堂の地下にある洋食屋さんのオムライスは絶品だそうです。石屋川駅に戻る途中に、「徳川道起点」という解説板がありました。後学の為、転写しておきます。「ここは幻の道として知られている、徳川道の起点である。徳川道は江戸時代末期(慶応3年)に幕府が兵庫港を開港するにあたって開港場付近の外国人と西国街道を往来する諸大名や武士との衝突を避けるために作られた迂回路である。そのコースはここで西国街道と別れ当時の徳井・平野・高羽・八幡・篠原の各村を経て杣谷を通り、杣谷峠・森林植物園・鈴蘭台・白川・高塚山・長坂・明石大蔵谷までの8里27町9間(約34km)であった」 岡山藩兵と英・仏兵との衝突、いわゆる神戸事件が起きたのが1867年(慶応3)12月20日ですから、この措置は杞憂ではなかったのですね。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-03-09 15:35 | 近畿 | Comments(0)
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