丹波・播磨・摂津編(26):旧甲子園ホテル(10.2)

 そして今津駅から阪神電鉄に乗り、甲子園駅へ。ほんとはJR甲子園口駅の方が、甲子園会館には近いのですが、アクセスの関係上こちらを選択しました。改札を出ると、眼前にタイガースファンの聖地・甲子園球場が鎮座ましましています。日本全国のファンは一日五回、ここに向かって遥拝するという噂は本当なのでしょうか。1924(大正13)年、甲子(きのえね)の年に完成したからもう御歳八十六歳、敬意を表して写真撮影。現在の時刻は9:08、ここからバスで十分ほどの距離にあるというので、軽い朝食をとってタクシーで行くことにしました。さてこちらには手頃な喫茶店がないので、いたしかたない、駅前にあったマクドナルドに入り朝食セットを注文しました。珈琲を飲んではやる気持ちを落ち着かせ、外を眺めていると、「災害時避難所 甲子園球場」という標識がありました。ま、そりゃそうだよね。さて食べるものは食べたし飲むものは飲んだし出すものは出したし、いざ出発しましょう。タクシー乗り場に行くと、タイガース一色に塗装された禍々しいタクシーが客待ちしています。スワローズファンとしてはあれには乗りたくないなあ、いやいや露骨に不快な表情をしてそれがばれたら、簀巻きにされて大阪北港から海に投げ込まれてしまう、にこやかに乗り込んで甲子園会館に向かってもらいました。
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 そして午前十時十分前に、武庫川女子大学甲子園会館に到着。女子大だけあって、すぐに警備員の方がすっとんできて誰何されましたが、胸と腹を張って予約した旨を告げると受付に招かれ、中のロビーで待っていてくださいと案内されました。
 さてそれでは旧甲子園ホテル(現武庫川女子大学甲子園会館)について、甲子園会館と「美の巨人たち」のサイトを参考にしながら紹介します。甲子園ホテルは、帝国ホテルの常務取締役でホテル界の第一人者といわれた林愛作(1873~1951)の理想に基づいて設計された、日本初の高級リゾートホテルです。竣工は1930(昭和5)年、設計はフランク・ロイド・ライトの愛弟子遠藤新(1889~1951)です。東京帝国大学の建築学科の学生だった遠藤は、雑誌でライトの存在を知り、大きな感動を覚えます。そのライトが帝国ホテルの設計のため来日すると知ると、遠藤は帝国ホテル支配人に頼み、ライトのアシスタントとなりました。そして、ライトと共に渡米し天才の仕事ぶりをタリアセンで学びます。しかし、ライトの妥協を許さぬ仕事ぶりにより、工期は遅れ、建設費は膨らみます。結局ライトは解任され、遠藤が代わりに帝国ホテルを完成させることになりました。その実績を見込んで、林愛作は遠藤新を抜擢したのですね。1930年に開業した甲子園ホテルはたちまち評判となり、「東の帝国ホテル、西の甲子園ホテル」と並び称されるようになります。その後遠藤は、満州で活躍しますが、日米が戦争に突入すると、彼の元に愛弟子の身を案じたライトからアメリカ移住を誘う手紙が届きます。しかし、遠藤は日本にあったライト式建築を根付かせたいという思いからこの申し出を断り、その後満州で病魔に倒れ帰国。戦後、1951年に志し半ばでその生涯を終えました。またホテルは海軍病院として接収され、終戦後は進駐軍の将校クラブとなり、わずか14年でその歴史に幕を閉じます。米軍から返還された後、荒廃していたこのホテルを買い取って整備したのが武庫川女子大学で、今では建築学科キャンパス、およびオープンカレッジのための施設として使われています。
by sabasaba13 | 2011-03-11 06:23 | 近畿 | Comments(0)
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