丹波・播磨・摂津編(28):旧甲子園ホテル(10.2)

 そして狭い入口から階段をおりると、そこは広々とした西ホール。入口を狭くすることによって、中の空間の広大さを演出するという手法です。
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 ふわああああ素晴らしい。光を存分に取り入れる大きな窓、和紙を使った美しい市松格子天井、一角を取り囲むようにしつらえてあるモダンな装飾、中二階のオーケストラ・ボックスを飾る装飾模様を型付けしたコンクリート・ブロック、水盤をデザインした間接照明、そして「打出の小槌」のオーナメント(嗜好やアクセントを表現する装飾)。師ライトの影響と、和の要素を取り入れた遠藤の趣味が、渾然一体となって美を奏でる見事な空間です。
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 なお案内の方は熱烈なトラキチで、このホールで大阪タイガースの結団式が行われたと教えてくれました(1935)。よってここは甲子園球場とならび、タイガースファンにとっての聖地であるそうです。ま、スワローズファンとしてはどうでもいい話ですが、まあ期せずして二大聖地を拝見してしまったわけです。そして「六甲おろし」(作詞:佐藤惣之助 作曲:古関裕而)が初演されたのもこのホールであるぞよと、なかなか見事なバリトンで♪ろっこおおろしにさああっそおおと♪と唄ってくれました。ほんとうにどうでもいい余談ですが、歌詞の中にある「おうおうおうおう」は大阪の「おう」だそうです。オリジナルでは♪おうおうおうおう 大阪タイガース♪という歌詞だったのですね。すみません、ほんとにどうでもいい話でした。
 閑話休題。ぞろぞろとエントランスのところに戻り、フロントがあったところを案内してくれました。壁面を飾るアール・デコ調の美しい二枚のガラス、私も先ほど気づいて写真を撮ったのですが、これはフロントの背後を飾っていたものでした。左下隅に金属製の枠がありますが、往時はここが開いていて、裏にあった会計とお金や書類のやりとりをしていたそうです。
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 そしてロビーを抜けて中庭へ。当時はここに船遊びが出来るほどの大きな池があり、リゾートを満喫しようとする宿泊客で賑わっていたそうです。中庭に出てホテルを振り返ると、正面よりこちらの方の装飾に力を入れたことがよくわかります。打出の小槌やマヤ文様のオーナメント、壁面を埋め尽くす装飾模様のコンクリート・ブロック、煙突や宝形造の瓦屋根をからめた複雑で変化に富みリズミカルな空間構成、オーバーハングする装飾的な壁、長期滞在客の目を楽しませようとの意図でしょう。
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 なお中庭に叢生する松の木の根元に、ハート型の傷がついています。案内の方が教えてくれましたが、これは資源が不足した戦争中に、航空ガソリンとして利用するための松根油を採取した痕だそうです。ウィキペディアによると、1944年(昭和19年)7月、ドイツでは松の木から得た航空ガソリンを使って戦闘機を飛ばしているとの断片的な情報が日本海軍に伝わり、実施に至ったとのことです。1944年10月20日に最高戦争指導会議において松根油等緊急増産対策措置要綱が決定され、1945年(昭和20年)3月16日には松根油等拡充増産対策措置要綱が閣議決定されました。原料の伐根の発掘や松の伐採には多大な労力が必要なため、広く国民に無償労働奉仕が求められました。大量の松根粗油が製造されたものの、そのまま利用できるものでもなく、結局、使用には至りません。戦後、進駐軍(占領軍)が未調整のままのものをジープに用いてみたところ、「数日でエンジンが止まって使い物にならなかった」そうです。やれやれ… でも貴重な戦争遺跡ですね。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2011-03-15 06:25 | 近畿 | Comments(0)
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