丹波・播磨・摂津編(33):毛馬閘門(10.2)

 その隣が住友グループから寄贈された「安宅コレクション」を展示する東洋陶磁美術館、ひさしぶりに油滴天目茶碗に再会したのですが、時間の関係で泣く泣くカット。地下鉄堺筋線の北浜駅へ降りようとすると、道路の向こう側に銅像があります。どりゃどりゃどなたさまじゃろ、と近くに行くと、五代友厚の銅像、背後のビルは大阪証券取引所でした。私の拙い受験用日本史の知識では、黒田清隆と結託し開拓使官有物払下げ事件の中心となったダーティーな実業家というイメージしかありません。しかし今調べてみると、大阪の産業の近代化に貢献するとともに、大阪商法会議所、大阪株式取引所、大阪堂島米商会所、商業講習所(大阪市立大学の前身)の設立・指導に尽力するなど、近代大阪の経済的発展を指導した人物でもありました。人間というのは多面的な存在、一面的な理解ではいけませんね。
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 そして北浜駅から地下鉄堺筋線に乗って天神橋筋六丁目で下車、毛馬閘門に向かいます。いつも愛用している『歩く地図』(山と渓谷社)が偉いのは、こうしたマイナーな物件までちゃんと地図に載せているところです。この地図と、駅にあった周辺地図で、だいたいの方向がわかりました。駅から北に向かって歩き始めると、たこ焼き屋さんがありましたが、ちょっとお値段が高い。ここは我慢して歩を進めましょう。しばらくすると、「おおよど」「豊崎東会館」という古いビルや、戦前の学校らしき物件を発見。城北公園通を渡ろうとすると、横断歩道のすぐ脇に歩道橋がありました。無駄な公共事業の典型例ですね。
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 そして十五分ほどで淀川の土手に到着、あたり一帯は公園として整備されていました。かつて長柄運河にかかっていたという眼鏡橋を渡ると、毛馬第一閘門が保存されていました。解説板によると、淀川はたびたび氾濫し周辺地域に大きな被害をもたらしていたため、1897~1910年にかけて改修工事が行われ、新淀川が開削されました。旧淀川と新淀川では水位に差があるため、船が通過する時には特別な施設が必要となりました。これがいわゆる閘門(こうもん lock)ですね。簡単に言うと、二つの扉で仕切られた空間をつくり、水を出し入れして、船を上下させるという仕組みです。閘室(ロック室)壁面の煉瓦や、重厚なロックゲートなどが良好な状態で保存されておりました。閘室が遊歩道になっていて、すぐ近くで見られるというのもいいですね。閘門自体は、名古屋の松重閘門のほうが見ごたえがありましたが、こちらのほうが閘門の仕組みがよくわかります。
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 また新淀川から旧淀川への分流施設、毛馬洗堰も保存されています。その近くにごろごろころがっているのが「毛馬の残念石」、江戸時代に大坂城を再建するときに伏見城から運ばれた石垣の石がその途中で運搬船から転落し、淀川改修工事の際に引き上げられたものとされています。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-03-20 08:16 | 近畿 | Comments(0)
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