丹波・播磨・摂津編(34):蕪村生誕地の碑(10.2)

 そして土手をのぼると、淀川に沿って長い堤が伸びています。どんよりと雲に覆われた広い空、そのもとを滔々と流れる淀川、そこにかかる無数の橋、どこまでも続くような堤と散歩をしている人影、とりたてて美しいものはないのですが、いつか見たような懐かしい情景です。右(東)方向へ歩くと淀川大堰と、現在稼動している毛馬閘門があります。ここを通り過ぎると「蕪村生誕地の碑」があり、彼の句「春風や堤長うして家遠し」が刻んでありました。この堤とは、たぶん今私が立っているこの毛馬の堤のことなのでしょうか、違うところなのでしょうか。あるいは帰郷して詠んだのか、故郷を偲んで詠んだのか、毛馬とはまったく関連のない句なのか。さっそく調べてみましたが、こういう本格的な評論や分析が読みたい時はやはり文献が必要です。「死ね死ね団」のテーマの歌詞が知りたいとか、そういう瑣末だけれども面白い情報を知るときには、インターネットはきわめて重宝しますが。要は使い分けですね。さっそく図書館で『与謝蕪村 日本詩人選18』(安東次男 筑摩書房)の該当部分を読んでみました。与謝蕪村(1716‐83)、ここ摂津国東成郡毛馬村(大阪市都島区毛馬町)の豊かな農家に生まれたことは間違いないようです。この句は漢詩、漢文訓読体、破調句などの雑体詩形を連鎖させた俳詩「春風馬堤曲」(1777)におさめられています。安東氏が紹介されている、蕪村が門人に宛てた手紙によって、この作品の由来がある程度わかります。
一、春風馬堤曲 馬堤は毛馬塘(づつみ)也 即余が故園也
余幼童之時、春色清和の日ニは、必ず友どちと此堤上ニのぼりて遊び候。水ニは上下ノ船アリ、堤ニハ往来ノ客アリ、其中ニハ田舎娘の浪花ニ奉公して、かしこく浪花の時勢粧(いまやうすがた)に倣ひ、髪かたちも妓家の風情をまなび、□(一字欠)伝しげ太夫のうき名をうらやみ、故郷の兄弟を恥いやしむもの有。されども流石故園の情に不堪、偶親里に帰省するあだ者成べし。浪花を出てより親里迄の道行にて、引道具ノ狂言座元夜半亭と御笑ひ可被下候。実は愚老懐旧のやるかたなきよりうめき出たる実情ニて候。
 つまり、あでやかな藪入娘が大坂から淀川沿いの堤をさかのぼって、母と弟の待ちわびるわが家へとたどる道行を描いたこの連作は、毛馬に帰郷しての作ではない、幼年時の記憶にもとづくフィクションであるということです。"「やるかたなき」懐旧の情を、幼年の日の一記憶に托して詠ん"だのであろうと、安東氏は述べられています。このとき、蕪村は六十二歳、人生はもう晩年をむかえ、さらに愛娘の離婚問題もからみ、どうしようもないほどの郷愁にとらえられたのでしょうか。なお氏は、蕪村が関東を歴行した時代の、結城・下館の川堤に関わる思い出も響いているかもしれないと指摘されています。はい、勉強になりました。また内なる図書館がすこし充実したような気がします。それにしても、散歩や旅ってほんとにいいものですね。事前に計画を立てるのが楽しい、歩き回っている最中も楽しい、そして帰郷して調べものをするのも楽しい。一粒で三度楽しめます。なおこれまで拙ブログで紹介した蕪村の足跡は二箇所、結城と、京都の金福寺です。そうそう、いろいろと調べている最中に、また彼の素晴らしい句に出会えました。
百姓の生キてはたらく暑かな
 彼とのつきあいは、これからも続きそうです。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-03-21 08:26 | 近畿 | Comments(0)
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