奈良編(4):天平倶楽部(10.3)

 数分ほどでバスは東大寺の近く、押上町にある「天平倶楽部」に到着。ここが夕食の会場です。入口で出迎えてくれたのは、あの悪名高いキモキャラ(気持ち悪いキャラクター?)の「せんとくん」看板。まじまじと見るのははじめてですが、それほど醜悪には見えません。しかしポスターに写っているリアル「せんとくん」(筆者注:気ぐるみか?)にはちょっと腰が引けました。街灯のない夜道で彼に出会ったら、逃げ出したくなりますね。
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 両者の写真を撮っていると、山ノ神が「ねえねえ」と袖をひっぱります。なんじゃらほいと、彼女の指さす方向を見ると「子規の庭」という看板がありました。正岡子規? 「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺」という句があるのですから、彼が奈良を訪れたのは間違いないでしょう、しかし彼の庭とはどういうことか?
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 さっそく受付の方に訊ねると、にこやかにパンフレットをくれました。以下、それに基づいてまとめます。日清戦争に記者として従軍した子規は、帰途の船中で喀血、瀕死の状態となりました。郷里の松山で四カ月の療養後、上京の途中で奈良を訪問、以後七年におよぶ闘病生活を余儀なくされる子規にとって、これが生涯最後の旅となります。その際、彼は角定(對山樓)という旅館に投宿しますが、戦後廃業、その跡地がこの「日本料理 天平倶楽部」になっているということです。1901(明治34)年、病床にあった子規は奈良の旅を回想し、この對山樓で宿屋の下女からたくさんの御所柿をもらったと、随筆「くだもの」に書いています。(柿をむく女のうつむいた顔に見とれたという記述もあり) そして奈良に柿を配合するという新しい趣向を見つけ出して、非常に嬉しかったともあるそうです。前述の句や「秋暮るゝ奈良の旅籠や柿の味」など、柿にまつわる奈良の句が多いのは、この時に出された柿のおかげかもしれません。その跡地に樹齢百数十年の柿の古木が現存していることが最近判明し、子規が見て食べたであろう柿の木を保存するとともに、その周辺を整備したのがこの「子規の庭」ということです。なるほど、これまでも松山根岸鳳神社尾道三島吉見百穴横須賀など子規にゆかりの地にふれてきましたが、偶然ここ奈良でも出会えました。食事の後、散策してみることにしましょう。
 総勢約六十人が大部屋に詰め込まれ、合宿のような落ち着かない雰囲気の中で日本料理をいただきました。まあ「子規の宿味は可もなし不可もなしそれにつけても金の欲しさよ」といったところでしょうか。食べ終わると時刻は17:20、さあいよいよお松明の開始時刻午後七時が近づいてきました。添乗員さんの指示は「一緒に行く方は17:40に玄関前に集合、早く行って場所取りをしたい方はご自由に、ただし終了後20:00にはバスに集合してください」というものでした。さてどないしまひょ。山ノ神の託宣をうかがったところ、「よきにはからえ」ということ。御意、まあ一時間前に二月堂前に着けばそこそこの場所はゲットできるでしょう(筆者注:この判断が「ルノアール」のココアのように甘かった)、子規の庭を見て、転害門を見て、大仏殿の裏手の趣のある小道を歩いて行くことにしました。まずは「天平倶楽部」に隣接する「子規の庭」へ。子規の孫にあたる造園家の正岡明氏の設計によるものだそうです。入口に彼の言を刻んだプレートがあり、それによると、子規は「筆まかせ」のなかで理想の庭として「日本風の雅趣のある野生の草花が咲き乱れたるを最上とす」と述べているそうです。狭いながらも、起伏や池や石組みや落水のある変化にとんだ庭で、その最上部に柿の古木と子規の句碑がありました。木々の間からは大仏殿の巨大な屋根が垣間見え、ふりかえれば桃の花の向こうに陽がまさに落ちなむとしています。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-03-31 06:16 | 近畿 | Comments(0)
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