奈良編(10):箸墓古墳(10.3)

 さてさてそうこうしているうちに、夜都伎神社に到着。ここから石上神宮を経て天理まで道は続きますが、時はすでに午後一時、またこれからアップダウンがしょうしょうきついという情報もありますので潔く桜井へと撤退することにしました。神社の前から西行し、やや広い車道を左折して南下すると国道169号線に合流します。後は、足も折れよとペダルをぶんまわすのみ。しかし「飛び出し小僧」を見逃さないのが偉いですね、と自画自賛。歩道沿いの芝生に屈みこんでいるお方を見かけましたが、山菜を採っているのでしょう。
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 そしてJR桜井線を跨ぐガードの前方に見えてきたのが、そう、箸墓古墳です。せっかくなので近くまで行ってみることにしましょう。岩波日本史辞典から引用します。
 奈良県桜井市にある墳長280m余りの前方後円墳。3世紀後半の築造。墳丘は後円部5段、前方部4段に造られており、前方部が撥形に広がる形態や、特殊器台形埴輪をもつことなどから、定型化した最初の前方後円墳と評価し、弥生墳丘墓との格差の大きいこの古墳の出現を古墳時代の開幕を告げるものとする説が有力。
 また卑弥呼の墓である可能性もあるのですが、2009年5月30日に、築造年代を西暦240‐260年頃とする国立歴史民俗博物館春成秀爾名誉教授の研究成果が報告されたのは記憶に新しいところです。魏志倭人伝によると卑弥呼が死んだのは239年ですから、これだとほぼ符合しますね。ただこの計測年代の測定技術に対する異論もあり、国立歴史民俗博物館の公式発表とはなっていないとのこと。いずれにせよきっちり発掘調査をすれば、何かしらの手掛かりは得られると思いますが、前述のように宮内庁が厚い壁となっています。ほんとに何をそんなに恐れているのでしょうね。たぶん天皇家の権威を脅かすような新事実の発見でしょうね。近くまで寄ると、緑なす木々を身に纏い悠然と佇む古墳の「ったく、*が小さいんだからあ」という呟きが聞こえてくるような気がします。しばらく走ると、秀麗な姿の三輪山をバックに屹立する大鳥居がありました。
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 そしてJR桜井駅に到着、自転車を返却し、予定していた列車にかろうじて間に合いました。なお桜井線は一時間にほぼ一本のみ、老婆心ながら細心の注意が必要です。やれやれ、と一服しようとすると灰皿はホームの一番向こうの端っこ。何もここまで邪慳にすることはないのに。
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 入線してきた列車に乗り込み、数分で畝傍に到着です。めざすは寺内町・今井。駅前にある案内図によると、ここから歩いて数分のところにあるようです。まずは途中にあったプチ面白怪しげ物件の御紹介。半円形のアーチとイオニア式ピラスター(壁柱)が印象的な恰幅のよいビルはかつて銀行だったのでしょうか、今ではレストランとして再利用されています。「おくりものにたばこ」という古き良き時代の残り香を漂わす看板、「禁ず」というカフカ的な看板、「一歩進んだ帽子を」というわけのわからない看板がありました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-04-08 06:21 | 近畿 | Comments(0)
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