熊野古道編(12):石屑の坂道(10.3)

  飢えと疲労のため小判をくわえたまま亡くなった巡礼を祀る小判地蔵を通り過ぎ、力が強く頓智に長けた伝説上の人物・悪四郎屋敷跡のあたりからは、左手に宝泉寺境内にある福定の大イチョウが遠望できるはずです、が、見つけられませんでした。
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 そして一里塚跡を過ぎると、九十九折りの急坂があらわれました。ここが最後の難関、気合いを入れて杖をつきつき登攀。ところどころで伐採された木々が乱雑に放置されている光景を見かけましたが、なぜなんだろう? 心痛みます。
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 そしてこのルートの最高点(標高約600m)・上多和茶屋跡に到着です。やったあ… 切り株に腰をおろして水を飲み、紫煙をくゆらして一休み。解説板によると、熊野詣がさかんなころはここに茶店があったそうです。
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 ここからはゆるやかな歩きやすい下り道、しばらく行くと「三体月伝説」という解説板がありました。それによると、陰暦の11月23日、ここから三つの月が見えるそうです。三尊像をふまえた伝説なのでしょうか、ちょっと「1Q84」を思い出してしまいました。
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 そして細い林道との交差点を通り過ぎると、予想外の伏兵が待ち構えていました。その名は「坂尻の谷」、またの名を「石屑の坂道」。幅の狭い急峻な下りのうえに、すべりやすい石畳というおまけ付き。ここで滑って転んで足を挫いたら百年目ですね、ただでさえ下りは体力を奪われるのに、神経まで擦り減らされてしまいました。もし雨が降り石畳が濡れていたら…肌に粟が生じ背筋に悪寒が走ります、想像したくありません。きっとこれからの行程でこうした滑りやすい坂道が多々あるのでしょう、雨が降らないことを心底から願いました。なおまぎらわしい分岐に「この道は熊野古道ではありません」という道標があるのには助かります。
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 杖をつきつき(ほんっとに持ってきてよかった)慎重に下山、大過なく大坂本王子跡に到着しました。やれやれと安堵の溜息をつき、呵々大笑する膝に労いの言葉をかけて一休み。なおこちらにあった石造の笠塔婆は、鎌倉時代後期のものだそうです。
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 本日の五枚です。
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by sabasaba13 | 2011-04-28 06:19 | 近畿 | Comments(0)
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