熊野古道編(13):牛馬童子(10.3)

 そして小川に沿ってすこし歩くと、国道311号線に出ました。車に注意して横断すると、道の駅牛馬ふれあいパーキングに到着です。時刻は午後一時ちょい過ぎ、出発から五時間四十分ほどかかりました。駐車場はマイカーであふれかえり、ここから熊野古道をプチ楽しもうという皆の衆がお土産に群がっていました。やれやれたかだか数人の人間が移動するのに、有害物質をしこたま排出しながら何百キロもある物体を駆動させるのか、上等上等。などと引かれ者の小唄を口ずさみながら、店に入り、珈琲を…売っていません。やれやれ。よっこらしょと荷物をおろしベンチに座って、五分咲きの桜を愛でながら紫煙をくゆらしました。あれ? そういえば、滝尻からここまで、誰ともすれちがわなかったことに気づきました。逆コースということもあるのでしょうが、近露王子へと向かう人もまばらでした。まさか蟻の熊野詣といった混み方はないとは思っていましたが、これほど閑散としているとは予想外。車や観光バスで、熊野古道をつまみ食いするのが主流なのでしょうか。ちょっと残念です。
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 気を取り直して出発、ふたたび国道を横断し、閑散とした旧国道の急坂をすこしのぼって山道へと入ります。十数分歩くと、熊野古道のアイドルだかなんだか知りませんが、とにかくやたらとガイドブックで紹介されている牛馬童子に到着です。解説板によると、このあたりは箸折峠と言い、花山法皇がお経を埋めたところと伝えられているそうです。食事のときにカヤの軸を折って箸にしたので箸折峠、軸の赤い部分に露がつたうのを見て「これは血か露か」と訊ねたので近露という地名がついたという「山田君、座布団一枚取りなさい」的な由緒があるそうな。そして牛馬童子は花山法皇の旅姿を模した愛らしい像として人気急上昇中だそうです。ま、たしかに、馬と牛にまたがった童形ではありますが、故大平正芳首相似の、お世辞にも抱きしめたいと思うお姿ではありません(失礼)。苔もついておらず摩耗もしておらず、それほど古い石像にも見えません。はい、「熊野古道」(小山靖憲 岩波新書665)に種明かしがありました。「…明治二四年(1891)ごろのもので、牛馬童子の名も自分がつけたという郷土史家の話を聞いたことがある」(p.149) ♪ちゃんちゃん♪ その裏手にある中世末の宝篋印塔は、牛馬童子とは一味違い、風雪を堪え抜いた確固たる存在感があります。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-04-29 07:06 | 近畿 | Comments(0)
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