熊野古道編(31):小口(10.3)

 部屋に戻って、座布団をならべて心ゆくまでお昼寝。そして夕刻、むくっと起き上がり、食堂で美味しい夕食に舌鼓を打ちました。部屋で一休みして、また露天風呂に入り、フルーツ牛乳を飲んで、ヴインヴインとマッサージチェアを堪能。♪時間よ止まれ♪とはこのことですね、永ちゃんの気持ちがよくわかります。
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 そうだ、感謝の意を込めて、熊野の神様、餓鬼の皆様、山ノ神様に献杯しなければ、ロビーのお土産売り場で地酒を仕入れ、部屋に戻って神々に献杯! さあ明日はいよいよ大雲取越です。距離にして14.5km、所要時間5時間16分、海抜100mほどの地点から一気に標高800m越前峠を越えるという難関が待ち構えています。心配なのはお天気、テレビの予報では、曇り、午後からは雨が降るということです。雨が降らないうちに越前峠を越えられれば、後はなんとかなるでしょう。なあに、私は神々に愛されし男、人呼んでアマデウス綾麿、必ずやその御加護によって明日もピーカンでしょう。さてそれでは布団にもぐりこんで、「南方熊楠随筆集」を読むことにしますか。へえー、百合若は、ユリシーズ譚が日本にもたらされて転化したという説があるのか(p.166)。以後は飛ばして、ずっと気になっていた巻末の「神社合祀問題関係書簡」を先に読んでみました。すると、以下の一文がありました。
 しかるに近日の大阪毎日に菊池幽芳氏が書きしごとく、欧州の寺院等は建築のみ宏壮で、樹林池泉の勝景を助くるないから、風致ということ一向なしというも至当の言たり。(p.438)
 うーん、卓見ですね。たしかにヨーロッパでは、街の中にいきなりどでんと宏壮な教会が屹立しています。これはもちろん文化の優劣ではなく、神的なるものに対する感性の違いなのでしょう。この列島の人々は、自然そのものに神を感じ見出してきたのだと思います。してみれば、この熊野も、その豊かで濃密な自然ゆえに、往古から人びとがそこに"神"を感じ取ってきたのではないでしょうか。さらにその自然の中に分け入るのが困難であればあるほど、現世の欲望や迷いから離れて悟りの世界に入れると考えたのではないか。小山靖憲氏は「熊野古道」の中でそう指摘されています(p.112)。さてそれではそろそろ寝ることにしましょう。おっとその前に、明日の快晴を祈って、とっておきの呪文を唱えましょう。ニンドスハッカッカ。マ。ヒジリキホッキョッキョ。
by sabasaba13 | 2011-05-25 06:15 | 近畿 | Comments(0)
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