熊野古道編(35):越前峠(10.3)

 さてヘアピンカーブを曲がると、いよいよ胸を衝くような急坂となってきました。胴切坂がはじまったようです。途中に、「風のゆく梢の音か瀬の音か 下りの道は心楽しも」という土屋文明の歌碑がありました。
c0051620_7242680.jpg

 下り坂が心楽しいとは、文明さんはよほどの健脚だったようです。行けども行けでも果てがないように続く坂、前方の先はもう霧の中に溶け込んでいます。はあはあ 石畳は雨でしっとりと濡れ、気を抜けば足をとられてしまいそう。ぜいぜい すこしのぼるとすぐ休むという体たらく、体力が落ちたなあと痛感。ひいひい やがて石臼がくくりつけられたように歩みが重くなってきました。ふうふう 一時間ほどのぼったでしょうか、やっと道が平坦になりました。標高が高いためでしょうか霧はより深くなっており、湿潤な空気につつまれぼんやりと浮かびあがる周囲の杉木立はまるで長谷川等伯の「松林図屏風」のようです。
c0051620_7245517.jpg

 そして十五分ほど歩くと、越前峠に到着。現在の時刻は9:38、出発してから約二時間半かかりました。「熊野川小学校 卒業記念」といった手製の小さな立て札がいくつかあったので、卒業記念遠足の定番コースなのでしょう。解説板によると、ここは標高870m、中辺路の中で最高所です。小口集落は標高65m、ほぼ800mを一気に(でもないですが)のぼったわけだ、ようやったわが脚よ。また「道の両側は、手入れの行き届いた杉や檜の植林地で、山と共に生きる熊野を濃密に感じることができる」とも記されていました。こちらにも土屋文明の歌碑がありました。「輿の中海の如しと嘆きたり 石を踏む丁のことば傅ふず」 そうだよね、いくら難行苦行とはいえ、上皇や貴族のみなさまは輿(こし)に乗って詣でたのですよね。それを担がされた丁(よぼろ)たちの言葉は残されていません。彼らは何を思っていたのだろう? 輿の中でふんぞりかえる貴顕への憎悪か、あるいは彼らを担がせてもらえることへの感謝か、あるいは疲労困憊して何も考えられなかったのか。なお「海の如し」とは、後鳥羽上皇の熊野詣でに随行した藤原定家が書きとめた言葉だそうです。(『熊野道之間愚記』)
c0051620_7252223.jpg


 本日の五枚です。
c0051620_7255413.jpg

c0051620_7261920.jpg

c0051620_7264564.jpg

c0051620_7271310.jpg

c0051620_728107.jpg

by sabasaba13 | 2011-05-29 07:29 | 近畿 | Comments(0)
<< 熊野古道編(36):石倉峠(1... 熊野古道編(34):楠の久保旅... >>