「一週間」

 「一週間」(井上ひさし 新潮社)読了。2010年4月9日に逝去された井上ひさし氏による、最後の長編小説です。これは面白かった! 残りのページが少なくなるのが悲しくなり、ひさびさに小説を読む醍醐味を味あわせていただきました。時は第二次大戦の敗戦直後、所はシベリアの捕虜収容所、いわゆる"シベリア抑留"を舞台とした小説です。主人公は小松修吉、冒頭に描かれた、彼の見た夢の描写を引用します。"東京外語と京都帝大でロシア語と河上肇の経済学に熱中していたころにくるまって眠っていた親父の形見の牛乳のいい匂いのする上等なイギリス毛布や、市ヶ谷刑務所の虱の死んだのが点々とこびりついた饐えた匂いの毛布、それから満洲映画協会の巡回映写班で北満洲の松花江や嫩江沿いの村々を巡り歩いていたころに使っていた埃くさい毛布や、極寒のシベリアの捕虜収容所で宛てがわれている時に凍てついて板よりも固く感じられる生臭い毛布―これまでに巡り合った毛布をいっぺんに何枚もかぶせられ、息ができなくなってもがいているところへ、「起きるんだ、日本人(イエポンスキー)」肩を強く揺すられて目を覚ました。"(p.10) うまいっ! さすがは稀代のストーリーテラーです。もうこれだけで、裕福な家庭環境、帝大への進学と左翼運動への参加、治安維持法による逮捕と転向、国内では就業できずに満洲で働き、ソ連軍の侵攻によって捕えられ抑留生活へ、といった主人公の前半生が瞬時に読み取れます。ストーリーは彼を中心に、寒さ、旧軍隊制度、空腹、便所掃除、終夜の焚火番、水汲み当番、南京虫という七大地獄に満ちたシベリアの捕虜収容所を舞台にくりひろげられていきます。そしてふとしたことから、彼はレーニンが書いた手紙を手に入れることになりました。その内容は、ソ連の土台を根本から破壊しかねないほどの衝撃的なもの、それを察知したソ連側はありとあらゆる手段を使って取り戻そうとしますが、小松は知恵をしぼり体を張ってしたたかに守り抜きます。そしてこの手紙を切り札として、日本への帰還を要求しますが、さあその結末は?
 もちろんそれを明かすような野暮なことはいたしません、ぜひご一読を。ここでぜひとも触れておきたいのは、この所謂"シベリア抑留"における日本側の問題点です。たいていこの問題が論じられるときは、「国際法を無視して捕虜を長期間にわたり抑留し、労働を強制して多くの人を死にいたらしめたソ連側の責任」という論調で語られます。ま、それはそれで間違ってはいないのですが、井上氏は、あまり知られていない日本側の問題点について鋭く指摘されています。まず一つ目は、旧軍隊制度がそのまま捕虜収容所に持ち込まれ機能していたこと。
 鉄道から遠く離れた奥地では、規定通りには食糧が運ばれてこない。また、収容所の中に旧軍組織が生きているところでは、兵隊の食糧は下士官や将校たちによってごっそり掠め取られてしまう。そこで、奥地の、将校や下士官が昔通りに威張り散らしている収容所に回された兵隊は、地獄の苦しみを味わうことになる。この冬の飢餓地獄と寒冷地獄を乗り切れずに亡くなった者の98パーセントまでが、そういった収容所の下級兵士だといわれているが、いってみれば、それは当然だった。彼らを殺したのは、食糧の遅延を改善しようとしなかったソ連軍と、いまだに「オレの命令は天皇陛下の御命令である」と怒号しながら旧軍の身分制度にしがみついている将校と下士官たちだ。これははっきりしている。(p.105)
 二つ目は、国際法で保障されている捕虜の待遇を、ソ連側に要求しなかった日本軍上級将校の無知と無恥。旧関東軍の参謀が口を揃えて、日本兵は上官の命令で動くのが一番だから旧軍組織はのこすべきだ、その方が二倍も三倍も労働の能率が上がると、ソ連側に対して力説したそうです。なお連合国軍の捕虜となったドイツ軍将校は、国際法に関する知識を駆使して、兵士のための処遇改善に尽力したという指摘もありました。
 つまり、大橋さんによれば、捕虜というものには国際法上の法的な地位があるそうなんです。法的地位があるからには、一定の待遇が国際法によって保障されているはずだ、その待遇を、兵隊たちのためにも求めようとしない日本軍の上級将校たちは、国際法に無知であるだけでなく、部下たちを危機にさらして恥じない人でなしだと、大橋さんは腹を立てていました。捕虜には外部と情報を交換する権利がある、赤十字国際委員会が手紙や小包を仲介してくれるはずだとも、云っていました (p.176)
 そして三つ目、これが最も衝撃的な指摘なのですが、国際法を無視したソ連による捕虜抑留および強制労働を、日本政府や軍上層部が黙認、いや提案したのだということ。
 停戦会議に出席した参謀たちは、さすがに知っていました。そしてワシレフスキー元帥にこう申し出たのです。日本内地の都会は空襲によってそのほとんどが廃墟と化している。その上、今年は何十年来の凶作という予想が出ており、食糧が絶対的に足りない。さらに船も足りない、石油もない。そこへ海外から同胞が七〇〇万人も引き揚げてくる。受け入れ態勢が整うまで、日本人捕虜を満洲国あるいはソ連邦の極東地方にとどめておいてくださいませんかと… 関東軍兵士は祖国から見捨てられたのです。(p.74)
 去年の六月から七月にかけて、きみたちの国はしきりにモスクワへ特使を送り込もうとしていた。もちろんきみたちには知る由もないが、あの貴族宰相、近衛文麿公爵が和平仲介依頼特使の大役を引き受けた。結局のところ実現しなかったが、一時は、ソ満国境都市の満洲里まで鉄道できて、そこから政府差し回しの旅客機でモスクワに入るという段取りまでつきかけていたぐらいだ。それで、モスクワの日本大使館を通してクレムリンに先触れの親書が届いたが、その末尾に、『関東軍将兵の労役提供も止むない』という付帯条項がついていたらしい。つまり、スターリン大元帥が和平仲介の労をとってくださるならばそのときは、関東軍を労役に使ってくださってもかまいませんよ、ということだね。そのときからすでに関東軍は祖国から見捨てられていたわけさ。(p.76)

 当時の日本の支配者たちは、己の権力や地位を守るために、満洲移民に加えて関東軍兵士をも見捨てたのですね。棄民… そう、日本の近現代史を理解するための重要なキーワードの一つが棄民だと思います。このシベリア抑留だけではなく、足尾鉱毒事件と谷中村、水俣病などの公害、核(原子力)発電の推進、米軍基地の許容、そして今の格差社会、いずれも支配者(ウォルフレン氏の言葉を借りればアドミニストレーター)の利益のために民衆の生存や福利が弊履のように打ち捨てられる状況を示しているでしょう。大きく言えば"人権の軽視"、己の人権を軽んじられた人びとが、他者の人権を尊重するわけはありません。棄民と虐殺・強姦は、"人権の軽視"というコインの裏表なのかもしれません。なぜ近代の(そして現代の)日本が、このように人権を軽視する国家や社会となってしまったのか、そして"そんな悲しくて虚しい歴史を何十年もかかって作り出して、しかもそれを一向に恥じない日本人とはなんなのか"(p.132)。この小説は、後者の問いに対する井上氏のこだわりと考察と批判をちりばめた書でもあります。そのときそのときの利害に合わせて世界観と処世訓を簡単に変えてしまう(p.338)、日本人は匿名主義の集団でありなにごとによらず輪郭のはっきりした個性を嫌う(p.371)、既成事実に容易に屈服してしまう(p.373)。これに関しては寸鉄のような会話がありました。
「なぜ、われわれ日本人は既成事実に容易に屈服するんでしょうな」
「こまった、こまったと繰り言をいうだけで、やがてそのうちにその事実そのものを一つの〈権威〉と見なして、そのままなにもかも諦めてしまう、そして、事実そのものを突き詰めて考えることを避けてしまう。そのためには、事実を忘れてしまうのが一番いい。こうして国際的にも有名な、あの〈日本人の忘れっぽさ〉が育って行った。…」
 こうした日本人像の対極に位置するように造形されたのが、主人公の小松修吉です。彼は、己の世界観と処世訓を断固として貫き、どんな絶望的な状況につき落されても諦めず、帰国するための手立てをしつこく追い求めます。彼の、ソ連側軍官僚との丁々発止・才気煥発としたやりとりも読みどころですね。もちろん井上氏らしい笑いやユーモアも随所にちりばめられています。
 "むずかしいことをやさしく、やさしいことをふかく、ふかいことをゆかいに"という氏のモットーが体現された好著、もうこうした作品が読めないのかと思うと残念でなりません。あらためてご冥福をお祈りします。なおシベリア抑留に関しては、「シベリア鎮魂歌 香月泰男の世界」(立花隆 文芸春秋)も読みごたえがありました。ここに紹介しておきます。

 追記。この書評を書いた後に、東日本大震災、そして福島第一原発事故が起りました。日本の支配者たちは、原発という利権のためなら、福島の人々が"棄民"になってもしったこっちゃなかったのでしょうか。氏の言をもう一度くりかえします。"そんな悲しくて虚しい歴史を何十年もかかって作り出して、しかもそれを一向に恥じない日本人とはなんなのか" やれやれ、こういう国をどうやって愛したらいいのでしょうか。「愛国心を持て」と咆哮する方々にぜひ教えていただきたいものです。
by sabasaba13 | 2011-06-02 06:17 | | Comments(0)
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