熊野古道編(41):補陀洛山寺(10.3)

 朝目覚めてカーテンを開けると、しとしとと小雨が降り注いでいます。宿から見える山々も分厚い霧にとざされていました。でももう天候に一喜一憂しないですむのは嬉しいかぎりです。顔を洗い、歯を磨き、7:30に朝食をとり、バスの発車時刻に遅れぬよう出立しましょう。宿代 8900円を支払い、バスターミナルに向かいました。待機していたバスに乗り込み、十五分ほどでJR那智駅に到着です。新宮行きの列車が来るまですこし時間があるので、駅の近くにある補陀洛山寺 に寄ってみることにしましょう。数分ほど歩くとすぐ見つかりました。このお寺さんは、補陀洛渡海の出発地として知られています。那智地方には、熊野灘の彼方に観音菩薩が住む浄土・補陀洛(ふだらく)があるという信仰があり、近くの砂浜から何人もの人たちがその浄土へ向かって旅だっていったのですね。小さな船に一ヶ月分の食料と共に閉じこめられ、外に出られないように扉に釘を打たれと、沖に向かって曳航され、そして曳き綱が切られて船は潮に流され補陀洛を目指して死出の旅に向かうわけです。復元された補陀落渡海船が展示されているはずですが、朝早いため展示館の扉は閉ざされていました、残念。
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 隣にある熊野三所大神社の大楠を拝見、こちらには浜の宮王子社跡があります。
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 そして駅へ戻り、紀勢本線の新宮行き列車に乗り込みました。車窓から雨に煙る熊野灘を眺めていると二十分ほどで新宮駅に到着、駅のコインロッカーに荷物一式を預け、駅構内にあった観光案内所で地図やパンフレットをいただきました。
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 駅前に出ると勇壮な火祭りとしえ有名な、神倉神社お燈祭の銅像、そして新宮出身の詩人・東くめが作詞した「鳩ぽっぽ」の碑があります。
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 幸いなことに目の前に喫茶店「じょいふる」がありました。さっそく入店し、珈琲をいただきながら一人作戦会議、この時間が至福なのですね。実は新宮は以前に訪れたことがあるので、その際に拝見した物件はカットしましょう。大逆事件の被害者、大石誠之助・高木顕明・峰尾節堂が眠る南谷墓地と佐藤春夫記念館、高木顕明が住職をしていた浄泉寺、毛利柴庵(南方熊楠とも親交のあった「牟婁新報」の主筆)が育った遍照院、メタンガスのため沼に浮いているという「浮島の森」、大石誠之助の甥である西村伊作邸は省略することにしました。熊野速玉神社と神倉神社も行ったことがありますが、こちらは表敬訪問することにしましょう。この二つと丹鶴城跡、歴史民俗資料館を訪問し、さて他に見どころはないかな、と観光地図を見ていると…佐藤春夫生育の家跡の碑と筆塚、西村伊作設計の小学校正門がありました。うんこれもまわれそうだ、他には…おっ駅の近くに「中上健次生誕の地」碑があるぞ、その隣に…なに? 「大逆事件顕彰碑」がある! 以前来た時にはなかったはずなので、最近建立されたものなのでしょう。時代がやっとここまで来たか、感無量です。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-06-07 06:17 | 近畿 | Comments(0)
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