熊野古道編(43):熊野速玉大社(10.3)

 そして駅の方へ戻り、徐福公園へ。ここ新宮は徐福伝説で知られている地です。今から2200年ほど前、中国を統一した秦の始皇帝に仕えた徐福は、その命により、東方海上の三神山にあるという不老不死の霊薬を求めて、3000人の童男童女を引き連れ、この熊野に渡来したと伝えられているそうです。その後、この地を永住の地と定め、土地を拓き、農耕、漁法、捕鯨、紙すき等の技術をこの地に伝えたと言われています。その「徐福の墓」を中心に極彩色豊かな中国風楼門が配されていました。
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 そして阿須賀神社に行き、その隣にある歴史民俗資料館を見学。なおこちらには阿須賀王子がありました。
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 歩を西へと進めると、以前に発見した面白看板「八咫烏警備保障」が御健在、旧友と出会えたようで嬉しくなりました。そして西村伊作記念館の外観を撮影し、丹鶴城跡へ。
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 桜の名所だそうですがまだ五分咲き、ただ石垣から見下ろす熊野川と雲をまとった連山の眺望は素晴らしいですね。
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 さらに歩を西へ進めると、佐藤春夫生育の家の跡碑、佐藤春夫筆塚、そして西村伊作設計の丹鶴小学校正門がありました。大石誠之助宅跡の記念碑を撮影し、川原町横丁に到着。
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 熊野川の洪水に備えて、釘を一本も使わず簡単に解体・組み立てのできる家、川原家(かわらや)が復元されています。このあたりは、熊野川の利用した生活物資の集散地であり、筏流しや小舟、そして熊野三山参詣者で殷賑を極めていたそうです。
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 そして熊野速玉大社に到着。こちらは「撮影禁止」などというケチくさいことはありません、思う存分に撮影。これで熊野三山を踏破したわけですね。
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 社務所で牛王宝印を購入し、絵馬を拝見。「五体満足な元気な子供が生まれますように」、うんうん、そうだよねその通り。「読売ジャイアンツ亀井義行がケガなくシーズンをすごし満足な成績を残せますように願います。3割30本30盗塁」、別段コメントはありません。そして平重盛手植えと伝えられる梛の大樹を拝見。さて神倉神社へと向かいま、あっ賽銭を入れるのをまた忘れた…
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2011-06-09 06:20 | 近畿 | Comments(0)
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