豊橋編(2):半田(10.4)

 改札を出てコインロッカーを探しましたが見当たりません。どうやら観光事業にはあまり力を入れていないように見受けられます。駅員に預かってもらえないかとお願いしましたが、体よく断られてしまいました。ま、それほど重い荷物でもないので背負っていくことにしましょう。駅前には「知多酪農発祥の地由来」という記念碑がありました。明治期にこのあたりで酪農がはじめられ、牛乳の生産がさかんになったとのこと。風呂上がりに、腰に手を当ててパック牛乳を一気飲みするのを無上の喜びとする私、敬意を込めて写真におさめました。横断歩道へと導く裸足の足型が道路にはめこまれているのは珍しいですね。
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 跨線橋と煉瓦造りのランプ小屋を撮影し、ガイドブックの地図を頼りに蔵のあるあたりへと歩いていくと、武豊線を最後に走ったC11265蒸気機関車が野外展示されており、近くにはしょぼいプレハブの鉄道資料館がありました。おっ万年筆を商うお店があるぞ、心温まる光景です。東京とは微妙に違う交通安全足型を撮影し、数分程歩くと「國盛 酒の文化館」に到着です。
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 黒板に漆喰の白い窓枠が洒落ている、大きな酒蔵です。中を拝見しようと受付に立ち寄ったところ、予約が必要とのこと。外観を眺めるだけで諒としましょう。
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 さてここで半田について紹介します。ここ半田は、江戸時代に酒や味噌、醤油、酢などの醸造業と木綿などの繊維業が盛んで、それらを積んだ江戸廻船がひっきりなしに往来していました。特に酒造の規模が大きく、半田と亀崎には約70軒の造り酒屋があり、知多酒と呼ばれていたそうです。新酒が灘より速く江戸に着いたので、その評判は灘の生一本をしのいでいたといいます。また1804(文化元)年、というとナポレオンが皇帝になった年かそれはさておき、造り酒屋を創業した中野(埜)又左衛門が、酒粕を原料にした粕酢の醸造に成功します。それまでの米酢よりもはるかに値段が安いことや、飴色の深い色合いと風味が江戸のにぎり寿司によく合ったため人気を博し、全国へと広がっていきました。粕酢は"赤酢"と呼ばれることも多く、いまなお東京では赤酢を使う寿司屋が多いそうです。なおこの中埜酢店が、全国の酢の約六割を生産するミツカンとなるわけですね。余談ですが、「ミツカン」とは、商標である「三」と「環(小さな丸)」からきているそうです。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-06-16 06:16 | 中部 | Comments(0)
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