豊橋編(6):岡崎(10.4)

 さてふたたび二十七曲りへと戻りましょう。横断歩道のところで、両手を広げた人物を描いた交通安全足型を発見。なお道標が整備されているので道に迷わないですむのは助かりました。
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 それにしても区画整理されたためでしょう、かなり歩きやすくなっていますが、この道標に示された道だけだとしたら恐るべき屈曲です。でも中国やヨーロッパのように城壁をつくらなかったわけですから、この列島における外敵は致死的な脅威ではなかったのかな、などと思ったりします。途中にガラスケースに納められた常夜燈がありました。解説によると、1945(昭和20)年7月20日未明の空襲で災禍にあったそうですが、ここ岡崎も無差別爆撃にみまわれたのですね。物言わぬ歴史の証人に敬意を表して写真を撮影。
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 商店街のベンチには「風紀上ここで寝ないでください。」という注意書き。たんなるモラルの欠落か、地方経済の衰微による浮浪者の増加か、判然としませんが、カーテンを閉ざした鈴木薬局、シャッターを締めた珈琲「パドック」(競馬ファンの溜まり場?)、商品がほとんど陳列されていない洋傘とレインコートの専門店を見ると、どうも後者のような気がします。
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 このあたりは伝馬町、東海道五十三次のなかでもっとも長い町並みだったそうです。お茶壺道中や朝鮮通信使など、その歴史を物語る石造オブジェが二十基並んでいますが、ここが岡崎伝馬歴史プロムナード。なお解説板によると、ここ岡崎は、将軍の慰労の言葉を伝える最初の宿泊地で、その応対は宿の一大行事だったそうです。
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 立派な店構えの「永田屋精肉問屋」、このへんは砥石の産地だったのでしょうか「近藤砥石株式会社」の前をくにゃくにゃと通り過ぎると、岡崎信用金庫資料館(旧商工会議所)の偉容が見えてきました。
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 1917(大正6)年に岡崎銀行本店として建てられた、赤レンガと花崗岩を組み合わせたルネサンス様式の洋館です。アンシンメトリーな意匠と、中庸を得た装飾がなかなか洒落た逸品でした。その先で、抜いた型に色スプレーを吹きかけて描いたゲバラのいたずら描きを発見。以前にアテネでも同じようないたずら描きを見かけましたが、センスの良さではそちらに軍配をあげましょう。
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 籠田公園を抜けて連尺通りを歩いていると、漢字で埋め尽くされた強烈なお宅がありましたが、北京語会話教室のようです。その先で、自転車と足を描いた交通安全足型をゲット。名古屋近辺は交通安全足型の宝庫のようですが、飛び出し小僧は一つも見かけませんでした。もしかしたら両者はトレードオフの関係にあるのかしらん?
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 格子が見事な旧家には、「唐弓弦(とうゆみづる)」という古い看板が掲げられています。前述のようにこのあたりは三河木綿の特産地、綿を打つ道具である唐弓弦を取り扱っていたお店だそうです。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-06-20 07:13 | 中部 | Comments(0)
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