豊橋編(12):伊良湖岬へ(10.4)

 ふたたび車窓から春紅葉を愛でながら二十分ほどバスに揺られると、本長篠駅に到着。バス・ターミナル…というよりはバス広場にあった観光地図を何気なく見てみると、「大海の放下」という風変わりなお祭りの写真がありました。巨大な団扇のようなものを背負い大きな太鼓を抱えた三人の人物が、輪をつくっています。とりあえず写真におさめ、今インターネットで調べてみました。放下(ほうか)は,正しくは「ほうげ」といって,総ての執着を捨て去ることを意味します。高野山の数多い聖たちの中に,一切の執着を放下して専心に念仏を唱えた一団があり、源平争乱の時代、多くの僧侶が地方へ放浪し、都の出来事や各地の珍しい行事の模様などを織り交ぜながら、仏の教えを伝えました。これが,放下僧の起こりといわれます。長い年月の間に放下僧という形態は消え去り、村人たちの盆の行事と「放下おどり」して、豊川水系地方に伝えられたとのことでした。
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 本長篠駅で「止マレ」というザッハリッヒカイトな交通安全足型を撮影し、10:12発の列車に乗り込みました。
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 一時間ほどで豊橋駅に到着、ここですぐ隣にある新豊橋駅に移動、豊橋鉄道渥美線に乗り換えます。めざすは渥美半島の先端、伊良湖岬。豊橋から直行するバスもあるのですが、時間がかかるし、ローカル線に乗りたいので、豊橋鉄道を利用することにしました。列車に乗り込むと三十分ほどで終着駅の三河田原に到着。ここからバスで伊良湖岬へと向かいますが、しょうしょう待ち合わせ時間があります。ふと気づくと、駅構内に「歴史の町田原を散策してみませんか」という字がかすれかかったしょぼくれた看板がありました。人に歴史あり、町に歴史あり、どんな無名の町でもなめてはいけません。もしかすると掘り出し物に出会えるかもしれんと思い、駅員さんに付近の見どころを訊ねると、「そうですねえ、渡辺崋山のとか…」 へっ             わたなべ?            かざん?           一瞬息と時間が止まり眩暈を覚えました。嗚呼、そうか、ここ田原は彼が家老を務めた田原藩だったんだ。己の無知蒙昧さに汗顔するとともに、この幸せな巡り合わせを用意してくれた♪historyの神様どうもありがとお♪とシャウトしたくなりました。さっそく観光案内地図をいただき、駅の近くにある城宝寺に行って、崋山のお墓を掃苔してきました。以下、岩波日本史辞典より引用します。
渡辺崋山 (1793‐1841)
三河田原藩士、蘭学者、画家。名は定静さだやす、通称登、崋山は号、堂号全楽堂。定通の子として江戸田原藩邸に生れる。谷文晁らに絵を、佐藤一斎、松崎慊堂に儒学を学ぶ。絵は写生に洋画の法も取入れ独自の風をなした。1832(天保3)に年寄末席(家老)となり、海岸掛を兼ねた。藩の海防問題から蘭学に関心を深め、高野長英らに蘭書を訳させる。西洋の事情を知るにつけ危機感を強めた。39年蛮社の獄で弾圧され、田原に蟄居となるが、41年自刃した。絵に「一掃百態」「鷹見泉石像」など。著「参海雑志」「慎機論」など。
 「鷹見泉石像」の凛とした写実性は目に焼き付いています。その画力とともに、モリソン号に対する攘夷行動を批判した勇気と先覚には畏敬の念を禁じ得ません。合掌。なおいただいた観光地図によると、まだまだ見どころがあるようです。また駅では自転車を無料で貸してくれるとのこと。伊良湖岬から戻ったら田原を徘徊することにしました。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2011-06-29 06:15 | 中部 | Comments(0)
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