豊橋編(14):伊良湖岬(10.4)

 そしてさらに西へと向かうと車道と合流、その歩道を快走していくとやがてゆるやかな上りとなってきました。時々降りて自転車を押しながら上っていくと、恋路ヶ浜を眺望できるビューポイントがいくつかあります。灯台から二十分ほどで「椰子の実記念碑」に到着。島崎藤村の詩が刻んであります。
名も知らぬ 遠き島より/流れ寄る 椰子の実一つ
故郷の岸を 離れて/汝はそも 波に幾月
旧の木は 生いや茂れる/枝はなお 影をやなせる
われもまた 渚を枕/孤身の 浮寝の旅ぞ
実をとりて 胸にあつれば/新なり 流離の憂
海の日の 沈むを見れば/激り落つ 異郷の涙
思いやる 八重の汐々/いずれの日にか 国に帰らん
 民俗学者の柳田國男が、1898(明治31)年の八月から九月にかけて、ここ伊良湖に滞在した時に椰子の実が漂着しているのを見つけ、東京に帰った後に藤村にこの話をしたところ、この話に興味を示して「椰子の実」を書いたのですね。『海上の道』の中で柳田はこう述べているそうです。「今でも明らかに記憶するのは、この小山の裾を東へまはつて、東おもての小松原の外に、舟の出入りにはあまり使はれない四五町ほどの砂浜が、東やゝ南に面して開けて居たが、そこには風のやゝ強かつた次の朝などに、椰子の実の流れ寄つて居たのを、三度まで見たことがある。一度は割れて真白な果肉の露はれ居るもの、他の二つは皮に包まれたもので、どの辺の沖の小島から海に泛んだものかは今でも判らぬが、ともかくも遥かな波路を越えてまだ新らしい姿で斯んな浜辺まで、渡つて来て居ることが私には大きな驚きであった。この話を東京に還つて来て、島崎藤村君にしたことが私にはよい記念である。今でも多くの若い人たちに愛誦せられて居る椰子の実の歌といふのは、多分は同じ年のうちの製作であり、あれを貰ひましたよと、自分でも言はれたことがある。」 日本文化のルーツは南方にありと柳田が直感したのがここ伊良湖岬、日本民俗学の聖地の一つですね。なお近くに日出の石門という海上の奇岩がありますが、バスの発車時刻が迫っているので下まで降りて接近する余裕はありません。上から撮影して、急いで戻ることにしましょう。
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 残像が見えるくらいにペダルをぶんまわし、発車十分前に道の駅「クリスタルポルト」に到着、自転車を返却し、売店で「渥美半島育ちポークとキャベツのコロッケ」を購入して頬張りながらバスに駆け込みました。やれやれセーフ。一時間十分ほどの滞在でしたが、見るべきほどのものは見つ、それでは田原を散策することにしましょう。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-07-01 06:06 | 中部 | Comments(0)
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