筑波山編(4):石岡(10.5)

 そして中町通りに出て北方向へ右折、ここからは戦前の看板建築と商家建築のオンパレード。まずは1931(昭和6)年に建てられたという重厚な蔵造りの福島屋砂糖店。土蔵の壁が漆喰ではなくコンクリートなのは大変珍しいそうです。砂糖問屋というのも珍しいですね、私ははじめて出会いました。当時、砂糖が重要な消費物資であったことがうかがえます。その隣に久松商店、十七屋履物店という個性的な看板建築が並ぶ景観は、まるで三役揃い踏み。そうそう"看板建築"とはそもそも何ぞや。これについては、建築史家・藤森照信氏による解説を紹介しましょう。残念ながら絶版ですが、同氏著「看板建築」(三省堂)から要約します。看板建築とは、立て板状のファサード(建物前面部分)に、過剰で個性的で勝手気ままなデザインをほどこした商店といえばよいでしょうか。関東大震災(1923)により多くの建物が焼尽した東京では、バラックの仮住まいが林立しました。復興期になってもそのバラックの壁面の造り方がそのまま取り入れられてできあがったのが看板建築。とにかく梁や出桁といった出っ張り部分がないのですから、専門的な技術・知識がなくても、画用紙に書いたデザインをそのまま実現することができます。そこで大工の棟梁、プロや素人や学生の画家、そして施主自身が、得手勝手にファサードを飾り立てます。それでは何故、派手で過剰なデザインが好まれたのか。以下、引用します。
 〈商品経済の発達〉…大量の商品を大量の人々に手渡す場としての商店は、いかに多くの客の目を引くかが勝負となり、そこから自ずと、過剰に飾り立てられた個性的な表現が生まれてくる。…
 当然のように、近代商店は、精神の深みに訴えるような表現は愚の骨頂で、街ゆく人々の目玉の表面をヒッパタイテ刺激を与えるような消費的デザインに傾くし、また、とにかくまず人目をうばわなくては何もはじまらないからファサードを重視するようになる。
 消費的なデザインとファサードの重視―これはもうそのまま看板建築の性質である。(p.209~210)
 なるほど鋭いっ! なおここ石岡では1929(昭和4)年に大火事があったそうで、家を再建するにあたって、「おっ東京で面白い建物が流行っているそうだぞ、いっちょ真似するか」という感じではじまったのかもしれませんね、憶測ですが。

 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-07-10 06:50 | 関東 | Comments(0)
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