天浜鉄道・中津川編(6):渋川の凱旋紀念門(10.7)

 そして11:45発の列車に乗り込みました。ずりっ 思わず腰が引けてしまったのは、車内に大きなビデオカメラを頑丈そうな三脚にセットし、車窓風景を撮影している方が数名おられたからです。車窓撮影タイプの鉄ちゃんなのでしょうか、ま、基本的に人様の趣味に半畳は入れませんが。天竜川を越えて、三十分ほどで金指駅に到着。
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 幸い駅前でタクシーが二台客待ちをしていました。さっそく乗り込んで運転手さんに持参した地図を示し、渋川の凱旋紀念門と久留女木の棚田に寄って駅に戻ってくるよう依頼しました。時間貸し切りかメーターか、どちらが安いでしょうかとお訊ねしたところ、貸し切りはしていないとのお答え。ちょっと解せませんが、やむをえません。三十分弱で渋川の集落に到着、眼を皿のようにして二人で街並みを見つめていると…あった! 左手の森の中、道路からすこし奥まったところに煉瓦造りの門がありました。さっそく車からおりていそいそと近づきました。解説板があったので転記しておきます。
日露戦争を記念して、六所神社参道の途中に築かれた。石造柱脚の上に、柱頭を鋸歯飾とした煉瓦造の柱が立ちあがり、煉瓦造の欠円アーチを挟み込む。煉瓦の積み方はフランス積みとする。大型の石製扁額を挟み、上部に江戸切仕上石材の重厚な笠石を載せる。県内における初期煉瓦造の構造物。
 欲を言えば、これがつくられた由来についての解説が欲しいものです。村人の自発的な行為なのか、行政からの命令・指導によるものなのか、その式典の内容はどういうものだったのか、この門をくぐったのは生還者なのか戦死者なのか、たいへん興味があります。それでは近づいてみましょう。神社へと続く石段の途中に設置してあり、煉瓦をていねいに積み上げたアーチ門で崩れているとこもなくほぼ完全な形で残っています。扁額には「門念紀旋凱」と刻まれており、柱の根元には従軍した兵士の名が刻まれています。当時の渋川の人々が、日露戦争の生還者あるいは戦死者を表面上はともかく内心ではどういう気持ちで出迎えたのか、門は黙して語りません。
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 本日の二枚です。
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by sabasaba13 | 2011-07-26 06:20 | 中部 | Comments(0)
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