天浜鉄道・中津川編(13):明智(10.7)

 駅から数分歩くと、洋館風の施設「浪漫亭」があり、土産屋・食堂・観光案内所を兼ねています。その近くには「新首都は東京から東濃へ 日本まん真ん中岐阜県」というすこしくすんだ看板がありました。うん、それもいいかもしれない。日本中の富を吸い上げて、傲岸不遜傍若無人に振舞うような首都のあり方を見直す時機だと思います。
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 その隣には、原初的な火の見櫓がありましたが、これはおそらく復元したものでしょう。写真の店「ささき」は、二階部分を覆う採光用の窓が印象的。
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 その前には「あっせん所」と書かれた仕舞た屋、何を斡旋したのでしょう、まさか人身? 逓信資料館は1875(明治8)年に開局したこの地方で最も古い郵便局。大正時代になって、モダンな出庇に欄間風の彫り物を加えた建築となったそうです。
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 大正資料館は、明治末期の建物で木造百畳敷き一部4階建て、手動のエレベーター付きの当時としては巨大で貴重な建築物です。農家から預かったり、買い取ったりした繭を収納するための銀行の繭倉で、生糸の町の名残だそうです。黒板の壁と瑞々しい柳の新緑が、ピクチャレスクでした。精緻な格子窓のあるお宅や、「スク房薬キタ」とガラスに書かれた商家を通り過ぎ、小路に入るとそこは「うかれ横丁」。
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 中馬街道の一部で、往時は繭や塩の荷駄がさかんに往来したところで、馬子や旅人相手の酒やうどんを売る店、カフェーも建ち並んでいたそうです。現存するカフェーの建物は一軒だけで今では寂れていますが、道路を跨ぐ渡り廊下がかつての殷賑を語る生き証人です。なんでも、置屋から料亭へ芸妓が移動するためにつくられたとのこと。
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 その先にあるのが、京都の老舗元カフェーを復元した天久資料館、一階が喫茶店になっているので入店し珈琲を所望しました。中の調度は昔のカフェーをイメージして復元されています。
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 なんてことはないのだけれども趣のある町屋が建ち並ぶ中馬街道をすこし歩くと、南北街道との交差点に出ました。南北街道のあたりも、どことなく懐かしい落ち着いた雰囲気の景観です。
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 交差点から南の方へ歩いていくと、「オリエンタル即席カレー」という張り紙をゲット。その先には二階建て・下見板張りの洒落た洋館「おもちゃ資料館」がありました。係の方に訊ねると、酒屋が従業員のために建てた宿舎だそうです。
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 風鈴の音が懐古の情をさそう路を歩いていくと、旧大塩医院があります。解説板によると、母や兄の死に直面して生きる姿のはかなさを思い知った大塩金弥氏が医業を志し、この地の人々のために建てた産婦人科だそうです。奥にある建物は、古い町並みや大正村にある懐かしい道具を題材にコミュニケーションをすることで、お年寄りの脳の活性化を図る「回想法」という療法を行うための「想い出学校」として利用されています。この付近で「B&G財団海洋センター」を発見。
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 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2011-08-08 07:28 | 中部 | Comments(0)
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