そして二十分ほどで岩村に到着、それでは岩村を散策することにしましょう。見どころは伝統的建造物保存地区に認定された本通りと、日本三大山城に数えられる岩村城跡。ウィキペディアによると、鎌倉時代、1185年に加藤景廉が鎌倉幕府より地頭を命ぜられ、岩村城を築城。安土桃山時代には城主を亡くし未亡人となっていた妻・修理が女城主を務めていたことがありますが、戦乱の中、1576年に織田信長の手によって処刑されました。岩村藩と城下は廃藩置県まで三万石の城下町として栄えたとのことです。駅前にあったのが伝鴨長明塚、彼がこの地で入寂したという言い伝えがあるそうです。たぶん消火器を納めてあるのでしょう、「火消道具」と記された茶色の木箱を見かけました。景観にはかなり気を使っているようです。
そして本通りへ、おおっこれはお見事。二階部分の低い
厨子二階造りの商家・町屋が建ち並ぶ、歴史を感じさせてくれる景観です。まずはオーソドックスな飛び出し小僧に挨拶をして、本通りを城跡の方へ進みます。手書きの「クリーニング 三宅」というほのぼのとした看板が眼を引くお宅は、一種の看板建築ですが、二階部分がせり出しています。
そしてそこいらじゅうに記されている佐藤一斎のお言葉。江戸後期の岩村藩儒官で、佐久間象山・渡辺崋山も師事したことがある郷土の偉人です。
さまざまな意匠の持送り板があるのは、ちょっと
飛騨古川の"雲"を彷彿とさせますね。飛騨の匠の心意気でしょうか。
またまた飛び出し小僧をゲット、こちらは手書き100%のしみじみとした味わいのものでした。家々の軒先に鉄の風鈴が吊り下げられ、涼しげな音色を奏でているのは風趣があります。「岐阜縣 計量器登録店」という古いホーロー看板のある商店では、
常滑焼の壺を大量に販売していました。近づいてみると、「らっきょう3kg用」と箱に表記してあります。へえー、自宅でらっきょうを漬けるんだ。
名物岩村カステーラの前を通り過ぎると、衝撃の新事実が判明しました。私が勝手に「
飛び出し小僧」と名付けた人形に、「安全坊や」と記されているではありませんか。この呼称問題については、学会で真剣に討議する必要があるでしょうね。その先にはアンパンマンの「飛び出し小僧」または「安全坊や」がありました。
本日の二枚です。