マーラー交響曲第3番

マーラー交響曲第3番_c0051620_6162975.jpg 先日、日本フィルハーモニー交響楽団の演奏するマーラーの交響曲第3番をサントリーホールで聴いてきました。指揮はピエタリ・インキネン、メゾ・ソプラノ独唱はアンネリー・ペーボ、女声合唱は栗友会合唱団、児童合唱は杉並児童合唱団。一時間四十分にもおよび、アルト独唱と女声合唱と児童合唱を必要とする大曲、めったに聴くことが出来ないので楽しみにしていました。なおパンフレットによると、この曲には興味深いエピソードが残されています。弟子のブルーノ・ワルターが、山間の保養地シュタインバッハ=アム=アッターゼーにマーラーを訪れたおり、山々の景勝に感嘆していると、彼はこう語ったそうです。「君はもうそんなに景色を賛嘆する必要はないんだよ。僕がそれを全部作曲してしまったのだから」 なるほど、音楽を通じての自然賛歌ととらえていいようですね。
第1楽章は、八本のホルンの咆哮ではじまります。そして荘重な序奏部と、爽やかな行進曲(当初は《夏がやってくる》という標題がついていたそうな)が交互に繰り返され、高揚しながら劇的なクライマックスで結ばれます。メンバー全員が、この曲を演奏できる喜びを爆発させたような快演でした。ホールを揺らすような分厚い音の響きに身をゆだねているうちに、あっという間に時は過ぎていきました。第2楽章は《牧場の花がわたしに語ること》、風にゆれる花々を思わせる可憐な曲です。第3楽章は《森の動物たちがわたしに語ること》、多彩なオーケストレーションが魅惑的なスケルツォ。途中で、二階の扉の向こうから奏でられるトランペットの音色と歌心には聴き惚れました。そしてここでアルト独唱者と合唱団が登場。第4楽章は《夜(人間)がわたしに語ること》、ニーチェの『ツァラトゥストラはかく語りき』の輪唱「酒に酔った歌」に付曲したもので、アルト独唱のための荘厳な楽曲です。"おお人間よ! 深い、深いのだ! この世の痛みは深い" 彼女の慟哭のような歌声とともに、東日本大震災と福島原発事故の犠牲者の方々のことに思いが至ります。"快びは心の奥底の苦しみよりも深い。痛みは言う、消え去れ!と" 第5楽章は《朝の鐘(天使)がわたしに語ること》、うってかわって軽快で微笑ましい掌編です。"びむ、ばむ、びむ、ばむ"という心躍るような軽やかな合唱とともにはじまってアルト独唱も加わり、聖ペテロが犯した罪が許された、とのお告げで天使たちが喜び合い、天上の喜びと永遠の至福を讃えます。その罪とは、おそらく「ペテロの否認」のことでしょうね。最後の晩餐の後、キリストは「鶏が鳴くまでに、あなたは三度わたしのことを知らないと言うだろう」と予言するのですが、その予言通り、彼が逮捕され拘束されたペテロが師キリストとの関係を三度も否認するという事件ですね。J・S・バッハの『マタイ受難曲』の中で歌われる哀切きわまるアリアが思い起こされます。ああよかった、彼は許されたのですね。"びむ、ばむ、びむ、ばむ" なおこの曲は『子供の魔法の角笛』の第11曲《三人の天使がやさしいうたを歌う》をもとにしたものです。そして最終楽章は《愛がわたしに語ること》、待ちに待った私の最愛のアダージョです。何と言えばいいのか言葉に詰まります。愛、慈悲、祈り、赦し、感謝、そうした高貴な感情をわきおこさせる音の伽藍が身と心を包み込み、至福と浄化のひと時をもたらしてくれます。不謹慎な話ですが、ここ最近は昼寝のBGMとして愛聴しております。ヴァイオリンが奏でる冒頭の静謐なテーマが始まると、もう涙腺決壊の準備はできました。しかし曲が進んでも、いまひとつ感興は極まってきません。音の分厚さ、歌心、ダイナミクス、何かが欠けているような気がします。中間部にある、おそらく世界中のトランペッターが一度は吹きたいであろう天国的なソロを失敗したのも致命的。惜しいことをしました。そして荘厳なるコーダとティンパニの強打とともに幕を閉じました。多少の瑕疵もありましたが、日フィルの力演に拍手を贈りましょう。

 余談その一。開演一時間ほど前に現地に到着したので、夕食を食べようとホールの前にあるアーク森ビルの中を徘徊していると、三階に「米楽(こめらく)」という和食のお店がありました。日本各地の名物丼を食べられるということなので、入店しました。宇和島名物の鯛飯もどきを所望しましたが、これがなかなかの美味。店内の落ち着いた雰囲気も良いし、今度は山ノ神を誘ってみましょう。
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 余談その二。会場で『日本フィル「被災地に音楽を」訪問コンサート レポート』(第4号 2011.8.20)をいただきました。楽団のメンバーが各被災地を訪れ、演奏をしたり、被災者の方々と交流したりする運動を行われているのですね、頭が下がります。その中で客演首席トランペット奏者であるオッタビアーノ・クリストーフォリ氏の報告に感銘を受けたので、ここにその一部を紹介します。
 丘の下には、何の希望も残されていなかった。この一帯ではどこにも逃げ場がなかったのだ。ここにあったものはすべて流されてしまった。建物が新しかろうが古かろうが、大きかろうが小さかろうが、老人だろうが子供だろうが、何の区別も無かったのだ。目の前に広がっている光景が、僕らに命を与えてくれる見えない力は、同じようにいとも簡単に命を奪うのだということを、僕に初めて、そしてはっきりと教えていた。
目の前の全てが、永遠に失われてしまっている。世界中で、ネットや新聞やビデオで繰り返し見られた光景を、ここで繰り返し述べるつもりはない。しかし、テレビでは死というものの匂いを感じることは決して出来ない。この絶望の、非現実的な沈黙を聞くことはできない。
 全ての希望を失って、失われた親兄弟の記憶を深く掘り起こしながら、ただ黙って、朽ち果て丸裸になった故郷を見つめる祖父母たち、父母たちの呆然とした表情を味わうことはできない。今はただ、僕らの口の中も、沈黙が支配するだけで、何の声もかけることもできない。僕には何の希望も見出せず、一体この土地はどうやって再び立ち上がることが出来るというのか、この何もないところから、一体誰が起き上がるのか、という思いを抱くばかりだった。
 そして彼は被災地にある志津川中学校・高校の吹奏楽部員たちと交流をし、合同リハーサルを行ない合同演奏会を開きます。彼はこう語ります。
 音楽とはなんと素晴らしいものだろう。人間の創造物で最も神に近い存在。音楽の前では、皆が同等で、誰もが音楽を理解することができ、誰もが音楽から喜びを見出すことができる。
 この日、この学校で、僕たちはこの国の希望の象徴を見た。末来がちゃんとそこにあること、そしてこれまで何度も蘇ってきたのと同様に、日本はこの困難から必ず立ち上がるのだという保証を。
 …車が50mほど丘を下りると、朝のコンサートの喜びは終わりを告げて、もう現実に引き戻される。多くの生徒たちにとって、この日の写真を見せる家族はいなく、ブログを読んでくれる友達はいなく、もらったサインを掛けておく自室の壁は存在しない…。
 あるのは希望。彼らこそがみんなの希望なのだ。がんばって!
 誰かが言った「音楽は何も変えることは出来ない。しかし、音楽は何度でも人の心を救うだろう」という至言を思い出しました。音楽とともに立ち上がろうとする若者たちへの、氏のあたたかい眼差しが心に残ります。それにつけても、みんなの希望の象徴である子どもや若者を真っ先に脅かすのが放射能です。しかしどうみても不十分な対応しかしていない政治家・官僚・東京電力の方々に対しては憤怒すら覚えます。中でも許せないのが、経済産業省と並ぶ原子力マフィアの巨頭・文部科学省。先頭を切って幼き若き命を守らなければいけないのに、放射能の悪影響を過小評価するのに大わらわです。例えば同省が発表している「放射能を正く理解するために 教育現場の皆様へ」というパンフレットの中に「チェルノブイリ原発事故による影響」という一項があり、その最後にこう述べています。
 放射線の影響そのものよりも、「放射線を受けた」という不安を抱き続ける心理的ストレスの影響の方が大きいと言われています。
 まあ、2011年度原子力関連予算4556億円のうち、2571億円を分捕っているお役所ですから、事故の影響を過小評価して原発は危険ではないと嘘をばらまき、原発の稼働を続けてずぶずぶの原発利権を守ろうとする気持ちはよくわかりますけれどね。しかし文科省の利権のために、子どもたちの命と健康と末来を犠牲にしてもかまわないというのですから、これはもう犯罪です。いっそのこと、文科省まるごと福島第一原発の近くに移転して被災者の塗炭の苦しみと底なしの不安を共有するとともに、数十人規模で交替でチェルノブイリに一年ほど長期出張をしその現状や対策を学んできてはいかが。放射能を湯水のように浴びても、不安やストレスを感じなければ大丈夫なんでしょ。文科省の利権のために子どもたちを犠牲にできるくらいの図太い神経をもったみなさんですからno problemです。

 文科省をはじめとする原子力マフィアの利権を選ぶのか、私たちの末来であり希望である、つまり全てである子どもたちを選ぶのか、私たちは今、重大な岐路に立っています。まごまごしていると直下型地震が原発を直撃して、第二、第三、第四…第五十四のFUKUSHIMAが現出するかもしれません。そして使用済み核燃料が山のように溜めこまれた六ヶ所村を地震が直撃したら…たぶん人類の歴史上最悪の事態が起こってしまいます。
by sabasaba13 | 2011-09-06 06:17 | 音楽 | Comments(2)
Commented by Jet at 2011-09-08 17:07 x
佐村河内守
交響曲第一番《HIROSHIMA》
81分

邦人作曲家作品CD売上総合第一位はクラシック界の歴史的快挙だそうです。
武満徹も果たせなかった夢のまた夢を天才佐村河内守はいとも簡単に乗り越えてしまいました。

本当に凄い曲です。
Commented by sabasaba13 at 2011-09-10 21:41
 こんばんは、Jetさん。貴重な情報をありがとうございました。さっそくCDを注文しましたので、今から聴くのが楽しみです。
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