クロアチア編(54):プリトヴィッツェ国立公園(10.8)

 そして似非エコロジー・バスの停留所ST3に到着、ここも売店・観光案内所・休憩所・トイレが完備されています。現在の時刻は午後四時、七時間の散策がこれにて終了です。添乗員さん曰く、ここで解散、以後は自由行動。バスに乗ってST2に戻りホテルで休むもよし、ここから歩いて戻ってもよし。ただ午後六時半にホテルのロビーに集合してバスで夕食会場まで移動するので、それには遅れないでほしいと釘をさされました。さてわれわれはどうしましょう。やはりパンフレットや観光写真でよく見かける、プリトヴィッツェ国立公園の壮大な風景を上から見下ろすビュー・ポイントが気になります。山ノ神に観光案内所で訊ねてもらったところ、ほぼ場所を特定できました。やはりさきほど行ったヴェリコ・スラプという大きな滝の左にあった長い石段をのぼり、滝へと続く川を渡り、しばらく歩いたところに展望台があるそうです。猶予は二時間半、なんとかなりそうです。しかし念のため、添乗員さんに事情を話し、ツァーのみなさんに迷惑をかけたくないので、もし一秒でも集合時間に遅れたら情け容赦なく夕食に行ってほしいと告げました。氏も快く了承、これで心置きなく展望台に行くことができます。
 やってきたバスに、ホテルに戻る方々といっしょに乗り込み、ST2でお別れ、われわれは終着のST1まで向かいました。そして午前中に歩いた遊歩道を急ぎ足で進みます。午後の光で見るとまた風景も違って見えますね、絶景絶景…などと言っている場合ではありません。湖へと下り、大滝のところに到着。さて噂の展望台を視認できるかなと見渡すと…あった! 滝の右手の方に、丸くて小さな石積みの展望台がありました。これからは時間との戦いです。まずは285段の石段がわれわれを待ちかまえていました。
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 これをのぼりきると、"VIDIKOVAC SIGHTSEEING POINT →"という看板をゲット。間違いないでしょう。現時刻は17:23、残された時間は一時間強です。車道に合流し滝へと続く川にかかる橋を渡ると、一軒の廃墟がありました。ウィキペディアによると、1991年3月に、ここプリトヴィッツェ国立公園でクロアチアとセルビアの最初の武力衝突、プリトヴィツェ湖群事件が起こったそうです。公園はクロアチア内で独立を宣言していたクライナ・セルビア人共和国の軍隊が占領し、ホテルや周辺施設をバラックとして使用し、この過程で一帯はいくらかの損害を蒙りました。1995年8月になって、クロアチア紛争を終結に導いた嵐作戦の際にクロアチア軍が一帯を奪還します。この戦争に伴って、ユネスコはプリトヴィツェ国立公園を危機遺産リストに登録することになります。クロアチア政府はこの国立公園の観光地収入の大きさに鑑みて、一帯の地雷撤去を最優先課題のひとつとして取り組み、ユネスコは1997年12月に地雷の撤去が進んでいることと、セルビア人分離独立派の占領からも解放されていることから危機遺産リストからの除去を決定しました。よってこのあたりには弾痕の残る家や交通標識、廃墟など、内戦の傷跡がそこかしこに残っているそうです。このお宅もそれなのかもしれません。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2011-11-06 09:46 | 海外 | Comments(0)
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