隠岐編(17):摩天崖(10.9)

 そしてここから摩天崖の北にある摩天崖展望所に向かいました。道路に屯する子牛たちをよけてUターン、山道を二十分ほど走ると展望所に到着です。
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 駐車場から草地の中の道を少し歩くと、おおっ、こちらも素晴らしい。高さ257mの絶壁、摩天崖を一望することができます。アイルランドのモハーの断崖ドン・エンガスにくらべれば少々見劣りがしますが、日本国内の断崖では(たぶん)一番の迫力でしょう。時がたつのも忘れてしばし見惚れてしまいました。穏やかに草を食む馬もいい点景になっています。
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 ん? コンクリートの廃墟らしきものがあるぞ。近づいてみると、第二次世界大戦中に日本軍が使用していた監視所跡でした。たしかにここからだと、日本海を通航する船を手に取るように監視できそうですね。
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 なお「牧畑(まきはた)」についての解説板がありましたが、これがなかなか興味深いものなので、後学のため転記します。
 牧畑 放牧と畑作を四年で輪作する世界的にもユニークな農法「牧畑」は、島の急斜面で狭い土地を有効活用するために考えだされたとされ、始まった時期は不明ですが、鎌倉時代の史書「吾妻鏡」(1188年)で紹介されています。
 島を分断する高さ1m前後の石垣で、「牧」と呼ばれる四つの区域(四圃)に分け、それぞれに麦、粟、大豆などを栽培、休閑地には牛馬を放牧。一年ごとに移動し、四年でローテーションを完了、五年めには元に戻る。
 牛馬の糞尿を肥料にし、同じ作物を連続して耕作しないことで、土地がやせないことを工夫していることなどは、中世ヨーロッパで行われていた三圃式農法よりも高度で、海外の研究者からの評価も高い。
 昭和三十年代には耕作もされなくなりましたが、入会権の残る2300ヘクタールの牧には現在も約1000頭の牛馬が放牧され、雄大な草原景観をつくりだしており、平成21年には「にほんの里百選」に選ばれています。
 あらためて先人たちの智慧と工夫と努力には頭がさがります。環境に負荷をかけない持続可能な農業・牧畜が世界的に求められていると思いますが、この優れた農法から何かを学び取ることはできないものでしょうか。昭和三十年代に消滅したという事実も見逃せません。素人考えですが、農業の機械化や流通の発展、輸入農作物などによって、価格が安くなり、島外からもたらされる農作物に太刀打ちできなくなったのでしょう。

 本日の四枚です。
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by sabasaba13 | 2011-12-16 06:17 | 山陰 | Comments(0)
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