「極端な時代」

 『極端な時代 (上・下)』(E・J・ホブズボーム 三省堂)読了。19世紀の歴史を総合的にとらえた三部作『市民革命と産業革命』(岩波書店)、『資本の時代』(みすず書房)、『帝国の時代』(みすず書房)を著した、20世紀後半を代表する歴史家エリック・ホブズボーム。その彼が総合的な20世紀像の構築をめざしたのが本書です。これは読まずにはいられません。20世紀の世界を理解するための地図として役立つことを望んでいる、と氏は述べられていますが、その意図は十二分に実現されていると思います。しかも驚くべき博識と鋭い分析力と先入観にとらわれない柔軟な発想によって、これまで見たこともないような20世紀像を現出させてくれました。いくつか例をあげますと、"十月革命以来の短い20世紀全期間の国際政治は、旧秩序の諸勢力の社会革命にたいする長期の闘争として、もっともうまく理解できるだろう"(上p.83)という指摘、あるいは冷戦の責任はアメリカにあるという指摘です。氏は"戦後世界におけるすべての打算、すべての戦後の政策決定において、「すべての政策決定者の前提はアメリカの経済的優越であった」ことを忘れてはならない"(上p.360)とした上で、アメリカの優位を維持するために、ワシントンが国際的な現実政治に反共十字軍の要素を入れたと述べられています。
 第一次世界大戦、ロシア革命、ベルサイユ体制、世界恐慌、ファシズム、第二次世界大戦、冷戦と、息をつかせぬ鋭利な叙述が続きますが、1973年以降現在に至るまでを「危機の二十数年」と捉え、世界の未来を展望するくだりは圧巻です。これは世界のすべての人々の耳に届き、その実現に向けて最大限の努力をしてほしい目標です。それはこれからの政治に求められるのは、成長ではなく、社会的分配であるという提言です。迫りつつある環境危機を未然に防止するには、市場によらない資源の割り当て、あるいは少なくとも市場による割り当てにたいする厳しい制限が決定的に必要であり、新しい世紀における人類の運命は、いろいろな形で公共権力の復活にかかっているという指摘です。もしこの資源割り当てが実現していれば、レアメタル(コールタン)をめぐってコンゴ一帯で殺された300万人の命は救われたはずです。そしてこの問題は、権力はすでに存在しているのだから、ある意味では技術的な問題である、という指摘も重いですね。(下p.434) もしそれができなければ…
 われわれはどこに行くのか、われわれは知らない。われわれの知っているのは、歴史がわれわれをここまで連れてきたこと、なぜそうなったかということだけである。しかし、一つのことは明らかである。もし人類にはっきりした未来があるとすれば、それは過去や現在を先に引きのばしたものではあり得ないということである。その引きのばしの基盤の上に次の千年を築こうとすれば、われわれは失敗するであろう。そして、社会の変革に失敗するならば、未来は暗黒である。(下p.445)
 手遅れにならないうちに、ホブズボームの提言に真摯に耳を傾けるべきだと思います。いやもう贅言はやめましょう。叡智にあふれた彼の言葉を紹介します。歴史家はこうでなくちゃ!
 ソ連は戦時には西欧民主主義を軍事的に救い、第二次世界大戦後には資本主義が自ら改革していく動機―さもなければ滅びるという恐怖心―を与え、経済計画なるものの評判を高めて、資本主義の自己改革のためのいくつかの手続きを提供した。(上p.13)

 戦後の政治家、少なくとも民主主義国の政治家にとっては、―有権者は1914~18年のような大殺戮を二度と許すまいということはきわめて明白なことになった。…民主主義国の政府は自国の国民の生命を救いたいという誘惑に負けて、敵国の国民の生命を完全な消耗品扱いすることになった。(上p.39)

 これらの運動(※ファシズム)をつなぎ合わせた共通のセメントは、一方は大企業という大岩、他方は興隆しつつある大衆的労働運動という固い地盤の間で押しつぶされた社会に住む、しがない人々の怒りだった。(上p.179)

 狂気じみた極右が勝利するための最適条件は、古い国で支配機構がもはや動かなくなった国であり、国民が幻滅し、方向感覚を失って不満たっぷり、どこに自分の忠誠心を向けたらよいのかがわからなくなっており、強力な社会主義運動があって社会革命がおこりそうに見えて、しかし現実にはおこすだけの力がないような国、そして1918~20年の一連の講和条約にたいして民族主義的な憤激の動きがあるという状態であった。(上p.191)

 日本人は、自らの人種的優越性を確信し、自己犠牲、絶対的な命令服従、自己否定と禁欲主義といった軍事的美点を信奉していくには人種の純粋さが必要であると確信しており、その点ではどの国にもひけをとらなかった。彼らの社会は厳格な階層制の社会、個人が(もし日本でこの言葉に西欧的な意味がいくらかでもあったとすれば)国民と神のような天皇にたいして全面的な献身を捧げる社会、自由と平等と博愛が完全に否定されている社会であった。
 しかしヨーロッパのファシズムを、帝国主義的な国民的使命を帯びた東洋的封建制に還元することはけっしてできなかった。ファシズムは、本質的に民主主義と普通人の時代のものであった。自選の指導者のもと、新しい、むしろ革命的なつもりの目的をもった大衆動員の「運動概念」そのものは、ヒロヒトの日本では意味をなさなかった。…類似性はあっても日本はファシズムではなかった。(上p.199)

 1945年の事実上すべての国家は意図的かつ積極的に市場の優位を否定し、国家による経済の積極的な管理と計画化の必要性を信じていた。…各国の資本主義政権は、戦間期の経済的破局への回復を阻止し、人民が共産主義を選ぶ(政府がヒットラーを選ぶように)ところまで急進化する政治的危険を避けるのは、国家の経済介入によってのみ可能であると信じていた。(上p.268)

 冷戦の特異さは、客観的に言って世界戦争の直接的な危険はなかったという点にあった。しかも、双方の側、特にアメリカの側の世界終末論的なレトリックにもかかわらず、二つの超大国の政府はともに第二次大戦終結時の世界的な権力配分を承認していた。それはきわめて不均等ではあるが一つの力のバランスであり、基本的にはどちらもそれに反対していない状態であった。ソ連は、地球の一部―戦争が終わった時の赤軍とその他の共産主義兵力が占領していた地域―を支配し、あるいはそれに優越的な影響力を行使し、その影響力の範囲を軍事力でさらに拡張させようとはしなかった。アメリカは、資本主義的な世界の残りの部分、それに西半球とその大洋とに支配権と優越的地位を保った。旧植民地列強のかつての帝国主義的指導権のまだ残っていたものをひき継いだわけであった。その代わりに、アメリカはソ連の指導権の承認されている地帯には干渉しなかった。(上p.340)

 社会主義を掘り崩したのは資本主義とその超大国との対決ではなかった。それはむしろ、社会主義の経済的欠陥がますます明白になったのに加えて、社会主義経済がもっと力強く先進的で支配的な資本主義世界経済の急激な侵略を受けたからであった。冷戦のレトリックは、資本主義と社会主義、「自由世界」と「全体主義」を橋渡しできない谷間の両側と見て、橋渡し使用とする試みをすべて拒否したが(核戦争という相互の自殺はしないための橋渡し以外は)、実はそのことが、弱いほうが生きのびることを保証していたのである。非能率でゆるみつつあった中央計画的命令経済でさえもが、鉄のカーテンに守られて存続できた。おそらくは少しずつ弱ってはいたが、短期的に崩壊するようにはとても思えなかった。社会主義を弱体化したのは、1960年代以降、ソヴィエト型経済が資本主義世界経済と相互作用をもったからであった。1970年代の社会主義指導者が、自国の経済体制の改革という手強い問題に直面しないで、世界市場の新しく利用できるようになった資源(石油価格、安い借款等)を利用していく道を選んだ時、彼らは自らの墓穴を掘っていたのである。冷戦の逆説は、ソ連を究極的に敗北させ破滅させたのが対決ではなくてデタントであったという点にあった。(上p.376)

 20世紀後半の最も劇的で広範囲な社会的変化、われわれを過去から切り離している変化は、農民層の死滅であった。(下p.7)

 世界経済が真に地球的になるにつれ、とくにソビエト地域の崩壊ののちはもっと純粋に資本主義的になり、ビジネスの支配下に入るにつれ、投資家と企業家は第三世界の政治家、公務員を買収して、彼らの国の不幸な国民から吸い取られた金を武器や威信のための企画に消費させられなければ、第三世界は利潤のおもしろみがないと思うようになった。…これらの国々のきわめて多くがアフリカという不幸な大陸にあった。冷戦が終わり、これらの国は経済援助(もっぱら軍事援助)がもらえなくなった。(下p.116)

 (資本主義的)世界経済の驚くべき「大躍進」と、その地球化の増大は、第三世界という概念を分断させ混乱させただけではなかった。第三世界の事実上全住民を意識的に現代世界の中に連れ込んだのである。彼らは必ずしもそれを好まなかった。むしろ多くの「原理主義」運動やその他、名目的には伝統主義的な運動がイスラム世界だけではなくいくつかの第三世界諸国で今や地位を確立したが、それははっきりと現代世界に対する叛乱であった。(下p.117)

 危機の二十数年(※1973~)は、国民国家がその経済権力を失った時代であった。(下p.187)

 危機の二十数年の歴史的な悲劇性は、今では生産がはっきり目に見えるように、市場経済が新しい職を発生させるよりも早くに人間を切り捨てていることであった。(下p.189)

 不況と、人間を追放することを意図して大規模なリストラが行なわれた経済とが結びついて、いわば不機嫌な緊張が醸成され、それが危機の二十数年の政治に浸透していった。…ともかく生活様式がぼろぼろと崩れつつあった。まさにそのような時に人々は方向感覚を失うのである。(下p.191)

 危機の二十数年の間に、民主的資本主義諸国のそれまで安定していた政治構造がばらばらに解体しはじめたのである。しかしもっとも大きい成長の可能性を示している政治勢力は、大衆主義的な煽動政治と、指導者個人を高度に全面に押し出す手法と、外国人にたいする敵意とを結合しているような勢力であった。(下p.194)

 東と西は、どちらも統制できなかった超国家的経済だけでなく、冷戦権力体制の奇妙な相互依存性によって奇妙に結び合わされていた。このことが二つの超大国とその両者の間にある世界を安定させ、そしてそれが崩壊した時には両者を無秩序状態に陥れた。その無秩序は政治的なものにとどまらず、経済的なものでもあった。ソビエト政治体制が突如崩壊するとともに、ソ連圏に成立していた地域的分業と相互依存の網の目も同時に崩れたからである。ソ連圏に結合されていた各国、各地方は何の備えもなしに単独で世界経済に対処しなければならなくなった。(下p.195)

 20世紀末は、同時に暴力に満ちている。―過去よりも、より多くの暴力がある。そしておそらく同じように重要なこととして、武器に満ちている。(下p.257)

 20世紀後半の大きな発明によって―あまり認識されていないことであるが―国家は弱体化された。効果的な実力を独占することが、長期的に安定しているすべての地球で国家権力なるものの基本的な基準であったが、国家がその独占を失っていることもその一つの実例であった。これは破壊手段の民主化ないし私有化であり、それが地球上のどの地点においても、暴力と破壊の見通しを転換させた。(下p.407)

 冷戦直後のいくつかの状況―とくにボスニアとソマリアの状況―が、国家権力の限界を劇的に示して見せた。それは、次の西暦10世紀間の国際緊張の主要な原因になりそうなもの―つまり世界の豊かな部分と貧しい部分との間の急速に拡がりつつある格差から生じる緊張の原因―にも光を当てていた。(下p.408)

 人間と、人間が消費する(再生可能な)資源と、人間の活動の環境に対する影響―この三者の間に、あるバランスを打ち出さねばならない。…それは無制限の利潤追求にもとづく世界経済とは両立できない。(下p.422)

 20世紀末の世界経済には警戒を要する三つの点があった。
 第一に、技術が依然として財とサービスの生産から人間労働を締め出しており、放り出した人々に同種の仕事を十分に提供していないし、彼らを吸収するだけの経済成長率の保証もしていない。
 第二に、経済の地球化によって工業が高コスト労働力の豊かな国々にあった古い中心地から、ともかくも安い労働力―肉体と労働の―を主要な利点にしている国々へ移ったことである。そこから二つの結果が生じる。地球規模での賃金競争の圧力のもと、高賃金地域から低賃金へ職が移転することであり、そして(自由市場原理にもとづいて)高賃金地域での賃金が低下することであった。
 第三。第二の動きに対しては、歴史的には国家の行動=保護貿易主義によって対抗した。しかし、自由貿易主義と純粋自由市場のイデオロギーが勝利したために経済変動の社会的結果を管理していく道具の多くが弱体化され、あるいは除去されてしまった。(下p.425)

by sabasaba13 | 2012-01-23 06:16 | | Comments(2)
Commented by sscc-ws1207 at 2014-03-13 08:57
ホブズボーム是非読んでみたいです。
Commented by sabasaba13 at 2014-03-21 07:35
 こんにちは、sscc-ws1207さん。この三部作はお薦めです。ぜひ読んでみてください。
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