札幌・定山渓編(15):北大植物園(10.10)

 それでは植物園に向かいましょう。途中にあったホテルには、「東京電機大学父母懇談会」という大きな立て看板がありました。大学で父母懇談会!? いやはや、これも大学の低年齢化の証左ですかね。工事のための仮設ガードレールを支えているのは可愛いウサギさん、もう社会全体が低年齢化しているようです。
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 そして北海道大学農学部附属植物園 に到着、1886(明治19)年に開園され、各種植物約4000種が百十年前の自然地形の中で栽培され、分類・保存されています。また園内には、植物園の設計者であり初代園長を務めた宮部金吾博士の記念館や北方民族資料室、そして北方圏動物・哺乳類鳥類の剥製標本を展示している博物館などがあるとともに、古い文化財な建物群が保存されているのも特徴です。実は以前、京都府立植物園で見事な紅葉に出会えたので、こちらも紅葉の穴場かなと色気を出して来園した次第です。受付には「10月14日更新 一部紅葉しています。雪虫がとび始めました」という掲示がありました。ウィキペディアによると、「雪虫」とはアブラムシのうち、白腺物質を分泌する腺が存在するものの俗称で、体全体が綿で包まれたようになる虫です。"しろばんば"というのも、この虫の俗称なのですね。蝋物質を身にまとって、風になびいて流れ飛ぶ姿が雪を思わせるところから、この名称がつきました。北海道では初雪の降る少し前に出現することから、冬の訪れを告げる風物詩ともなっています。なお雄には口が無く、寿命は一週間ほどで、雌も卵を産むと死んでしまいます。熱に弱く、人間の体温でも弱る、はかない命なのですね。そうか、昨日定山渓を散策している時に出会ったあの虫たちが、この雪虫なのですね、たぶん。
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 入園料を払い、中に入ると半八角形の張り出し部分がユニークな門衛所がありました。竣工は1911(明治44)年です。そして肝心の紅葉ですが、うーん、やはりいまひとつです。でも人気のない静寂の中、清冽な空気を肌で感じ、小雨に煙る木々を眺めながら遊歩するのも悪くありません。アイヌの狩猟用具・祭壇・衣服を展示する北方民族資料館を見学し、初代園長宮部金吾の遺品を展示する宮部金吾記念館へ。この建物は札幌農学校動植物学教室を移築したものです。
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 しっとりとした木々の香りを楽しみながら歩いていくと、ほぼ中央にある古い建物群に到着。
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 1924(大正13)年竣工の鳥舎、1885(明治18)年竣工の倉庫、1901(明治34)年竣工の事務所(※設計は中條精一郎)、1898(明治31)年竣工のバチェラー記念館(※アイヌの教育・文化の向上に意を注いだイギリス人宣教師バチェラーが住んでいた邸宅)など、貴重な物件が目白押しです。
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 中でも眼を引かれたのが1903(明治36)年竣工の便所、独立して建てられた便所物件は珍しいですね。なお今、インターネットで調べていたら、現在でも使用可能でした。不覚! いつの日にか再訪してこの貴重な便所を利用することにしましょう。そしてリズミカルに並ぶ三角屋根がファサードを埋める博物館本館、竣工は1882(明治15)年です。館内では、津軽海峡以北に生息した動物や鳥類の剥製など、ブラキストン線・八田線等の動物区界を決定した標本などを展示しています。ブラキストン線とは、幕末から明治期にかけて日本に滞在したイギリス出身の軍人・貿易商・探検家・博物学者であるトーマス・ブラキストンが指摘した、津軽海峡における動物学的分布境界線のことですね。そういえば函館山で彼の記念碑を見たことがあります。八田線とは、両生類・爬虫類などの分布の違いから宗谷境界(樺太-北海道間)に引かれた分布の境界線で、1910年に八田三郎が提唱したもの。多くの動物の北限が北海道にあり、ブランキスト線よりも重要との見方もあるそうです。それはさておき、絶滅したエゾオオカミや南極探検隊のタロの剥製など、これだけたくさんの剥製を見たのは初めてです。博物館の前には、日本初の輸入製粉器の石臼が野外展示されていました。パン食の普及を提言した開拓使御雇教師頭取兼開拓顧問ケプロンが、母国アメリカから輸入したものだそうです。
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 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2012-02-08 06:21 | 北海道 | Comments(0)
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