青森錦秋編(2):八戸(10.10)

 そして天聖寺の門前で、安藤昌益の碑を見つけました。岩波日本史辞典から引用します。
安藤昌益 (1703‐62) 江戸中期の医者、思想家。字は良中、別号は確竜堂。出羽秋田郡二井田村の出身。生家の没落で村を出、1744(延享1)から58(宝暦8)まで八戸藩領の八戸城下で町医者を開業。門人には藩主の側医・藩士・商人など上層の人々が多い。58年故郷に帰り、生家と村の再建をはかった。昌益は、平等主義の立場から、万人が生産活動に従事する<自然世>を理想とし、武士が農民を支配する<法世>の現実を批判して、その秩序を支える儒学や仏教などを否定した。著書は稿本「自然真営道」、刊本「自然真営道」「統道真伝」など。
 狩野亨吉によって発見され、ハーバート・ノーマンによって広く世に知られるようになった"忘れられた思想家"安藤昌益。解説板によると、1744(延享元)年12月、八戸にやってきた昌益は、ここ天聖寺で、八戸の主だった知識人を前に講演を行い、大きな感銘を与えます。そして天聖寺に彼の門弟たちが集まり、談論風発、親交を深めました。1749(寛延2)年におきた猪飢渇(いのししけかじ)から始まる飢饉の頻発は、昌益を向かわせ、「統道真伝」「自然真営道」を執筆しながら、すべての者が「直耕」する平等な社会とは何か、そこにおいて最も人間らしい生き方とはどのようなものか、さらに人間と自然とはどのように相互依存して共生できるのかを追い求め、「自然の世」という理想社会の実現をめざします。1758(宝暦8)年頃、おそらくここ天聖寺で全国の門人たちが集まったシンポジウムが開かれ、これを機に十五年にわたって過ごした八戸を離れ、故郷の大館二井田へ向かいました。よってここ八戸、そして天聖寺が「安藤昌益思想発祥の地」というわけですね。平等な社会、人間らしい生き方、自然との共生、今から二百数十年前にこうした重要な論点について思考を馳せていた彼の炯眼には頭がさがります。グローバル資本によって世界が私物化され、自然が破壊され、人間がどん底への競争に投げ込まれている今だからこそ、彼の言葉に耳を傾ける必要があるでしょう。まずはハーバート・ノーマン全集第三巻「安藤昌益」を読んでみたいと思います。なお以前に掃苔したのですが、大館の温泉寺に彼のお墓があります。
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 本日の一枚です。
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by sabasaba13 | 2012-02-14 06:17 | 東北 | Comments(0)
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