夕顔棚納涼図屏風

 新しいロゴ画像の正体は、久隅守景の「夕顔棚納涼図屏風」(東京国立博物館蔵)に描かれた男性の顔です。せっかくですので、少し紹介をします。久隅守景。生没年および伝歴未詳の江戸初期の画家です。17世紀初めから末ごろまで活躍したと推定され、90歳ぐらいの高齢で没したようです。狩野探幽門下の四天王の筆頭と目されますが、のちに狩野一門を離脱、一説には破門されたとも伝えられます。英一蝶と同じく、ステロタイプ化しつつあった狩野派にあきたらなくなったのでしょうか。
 この17世紀中期は、三代将軍家光の治世で大開発の時代です。土木技術の進歩と、平和の到来で多くの動員が可能になったことにより、肥沃な大河川の下流域である沖積平野の新田開発が進み、農地面積が爆発的に増加しました。これで貧農も土地を持てるようになり、自立が可能となります。しかし調子に乗った領主の収奪への農民の激しい反発である島原の乱(1637)と、寛永の大飢饉(1641~42)による年貢収納額の激減に、幕府は大きな衝撃を受けました。以後、幕府・大名の農政は、過酷な年貢・夫役の収奪をやめ、税を負担する農民をつぶさない[=小農維持]という方向へと大きく転換します。田畑永代売買の禁令(1643)や慶安の触書(1649)がその代表例ですね。後者の有無については議論が分かれますが。
 と長々と書きましたが、日本の歴史上庶民がはじめて家族をもてるようになったのが、おそらくこの時代なんですね。そういう意味でこの絵は、その記念碑であり、日本で初めての「家族の肖像」なのだと勝手に思っています。一日の激しい労働を終えて涼を楽しみながらくつろぐ母と父、そばに寄り添う幼子、「幸福」をとことん蒸留すると最後に残るのはこういう形になるような気がします。欠けるものも、余分なものもない、完全な「幸福」の姿。仕事があり、衣食住足りて、団欒の時をもてる家族。ある時代の人類の幸福度は、こうした家族が全世界で何%存在するかという数値で測れると思います。そういう意味では、確実にわれわれは退化していますね。この数値を100%に近づけることは、現代の技術をもってすれば決して困難かつ不可能なことではないはずです。それなのに何故…
 もちろん、絵そのものも大好きです。土の匂いただよう穏やかな色調、棚・茣蓙・家を形なす直線と、濃紺を塗り分けてリズミカルに折り重なる夕顔の葉、そして何よりも三人のゆったりと満ち足りた姿態と魅力的な表情。ただ一つ気になるのは、この三人は何を見ているのでしょう? 少なくとも私たちの方を向いていないことは確実ですね。

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by sabasaba13 | 2005-05-12 06:15 | 美術 | Comments(0)
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