そして予定より一本早い10:00発西山荘行きのバスに乗り込むことができましたが、またもや乗客は私一人。やれやれほんとに心配だなあ。三十分ほどで西山荘に到着、庭園のある「西山の里」という休憩施設を抜けてすこし歩くと西山荘に到着です。水戸二代藩主徳川光圀が1691(元禄4)年から1700(元禄13)年に没するまでの晩年を過ごした隠居所で、ここで「大日本史」編纂事業の監修をしたとのことです。なお
以前、新緑の頃にここを訪れてその趣ある佇まいと雰囲気に感銘した記憶があります。紅葉の季節もさぞ素晴らしいものであろうと期待します。萱葺きの風情ある通用門、竹林の中をうねるように続く飛び石、その向こうに見え隠れする萱葺き屋根の質素な書斎、そして色づきはじめた紅葉の木々、素晴らしい光景ですね。紅葉した落葉を一面に浮かべて妖しく紅く輝く小さな池、イチョウの黄とカエデの紅の絶妙なコントラスト、そして観月台から見晴らす紅葉のグラデーションに包まれた西山荘の全貌、どこを切り取っても一幅の絵のようです。これで紅葉が盛りとなったら、絵にも描けない美しさでしょうね、再訪を期すことにしましょう。
なお、持参した「黒船以前 パックス・トクガワーナの時代」(中村彰彦・山内昌之 中公文庫)の中で下記のような一節があったので紹介しておきましょう。
山内 山室恭子さんの『黄門さまと犬公方』を読むと水戸光圀でさえ、夜、試し斬りみたいなことをする。そのときのセリフが、おまえたちも不幸な人間たちだ、こうなったからにはあきらめろ、と。斬られるほうは差別を受けている人々ですね。
中村 そうです。浅草のお堂の縁の下に住んでいた人々。
山内 私どもはこういう身分の者ですから、どうぞご勘弁くださいといったら、おまえたちも不憫だけれども、そういうところにいる人間だからあきらめろといって、因果を含めて斬る(笑)。(p.248)
まあ、彼も封建諸侯の一人ですから、さもありなん、というところですね。感情的に毀誉褒貶に走るのではなく、冷静に一人の歴史上の人物として向き合うことが大事でしょう。マルク・ブロックも「ロベスピエールをたたえる人も、にくむ人も、後生だからお願いだ。ロベスピエールとはなにものであったのか、それだけを言ってくれたまえ」と言っています。
本日の四枚です。