浜離宮編(3):芝離宮(10.11)

 さて次は徒歩で旧芝離宮恩賜庭園へと移動です。途中にイタリア公園という不思議な公園がありました。幾何学的な植え込み、噴水、大理石製の柱や彫像、なるほどいかにもイタリア風庭園ですが、その由緒は? インターネットで調べたところ、「日本におけるイタリア2001年」を記念し同国から寄贈された公園だそうです。
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 そして十数分で芝離宮に到着。小田原藩主・大久保忠朝上屋敷の庭園楽寿園が始まりで、幕末には紀州徳川家の芝御屋敷、そして宮内庁管理の離宮を経て、1924(大正13)年東京市に下賜されました。中央にドンとある大きな池とその周囲をめぐる遊歩道、シンプルなつくりですが、前掲書によると"プロ好みの手法を凝らした潮入り庭園の傑作"だそうです。それでは入園料150円を支払って中へ入りましょう。ん? 150円? 浜離宮は300円だったのに、なぜこちらは半額なのでしょう。面積に応じて入園料を決めているのでしょうか。
 入口を入ると視界が一気に開け、池を中心として庭園の全貌をほぼ一望できます。ただ残念ながら見事な紅葉には出会えませんでした。前掲書によると、この庭園のモチーフは西湖だそうです。西湖とは、中国の杭州(現在の浙江省)にある、白居易や蘇軾などの詩にも詠まれた風光明媚な湖ですね。この西湖を写すことが、江戸時代の大名庭園でひときわ流行したそうです。(嚆矢は小石川後楽園) それでは池を眺めながら左回りに歩いていきましょう。やはり背後の高層ビルが目障りですが、緑なす木々や雪吊りをほどこされた松が鏡のような広々とした水面に映って綺麗です。池の中にちりばめられた石の上では、亀さんたちが気持ちよさそうに甲羅干しをしていました。
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 池中にある小さな石灯籠は、西湖にある三譚印月という石灯籠を模したものではないかと、田中氏は推測されています。三譚印月はもともとは蘇軾がつくった三つの標識で、その範囲内での蓮根などの養殖を禁止したそうです。その後石灯籠に変わり、西湖のランドマークになったとのこと。その先には、水面下に飛び石が並んでいるのが見えますが、これこそ潮入り庭園の名残り、潮位が下がれば顔を出すわけですね。残念ながら今では海水の取り入れはしていないので、水位は変化しません。
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 そして橋を渡って蓬莱島(中島)へ、ここには中国で仙人が住むと言われる「蓬莱山」を表した石組があります。その先にある、中央部がアーチになった石橋が西湖堤、西湖の蘇堤を模した石造りの堤です。この橋も蘇軾によってつくられた西湖のランドマークで、水の流通や船舶の往来を確保するために、堤の途中につくられた六つのアーチ状の石橋です。余談ですが、錦川にかける橋作りに難儀していた岩国藩藩主・吉川広嘉が、その絵を見てアーチ状の橋を橋台で連結させるというアイデアを思いついたそうです。そう錦帯橋ですね。そして「大山」という小さい築山にのぼれば園内を一望できました。
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 池をめぐるように歩いていくと、屹立する四本の石柱に遭遇。用途は不明で、茶屋の跡ではないかと推測されています。そして「根府川山」という力強く豪壮な石組に到着。小田原藩の根府川でとれる著名な庭石で、近年産出量が減り貴重なものとなったそうです。
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 そしてふたたび西湖堤を渡り対岸へ、州浜にある巨大な雪見燈籠からの眺望もなかなか素敵ですね。

 本日の三枚です。
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by sabasaba13 | 2012-04-05 06:24 | 東京 | Comments(0)
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