「日本の黒い霧」

 「日本の黒い霧(上・下)」(松本清張 文春文庫)読了。推理小説の巨星・松本清張氏、その歴史に対する造詣の深さには舌を巻きます。本書は、日本の戦後史に隠された闇を、該博な知識、綿密な資料分析、鋭利な推理力、論理的かつ大胆な仮説、そして何よりも真実を知ろうという強靭な意志と熱意をもって、白日のもとに暴こうとした傑作です。もちろんその存在は知っていましたが、たまたま縁がなく手にしませんでした。たまたま今、20世紀の歴史を勉強しており、その一環として本書に挑戦した次第です。取り上げられた事件は、下山事件、「もく星」号遭難事件、昭電・造船疑獄、白鳥事件、ラストヴォロフ事件、帝銀事件、鹿地亘事件、松川事件、朝鮮戦争などなど。その他にも、伊藤律、日本政府・軍の隠匿物資の行方、レッド・パージなどについても触れられています。さて、こうした一連の事件を結ぶ連環をどうとらえるのか。氏は「なぜ『日本の黒い霧』を書いたか -あとがきに代えて-」の中で以下のように述べられています。
 もとより、朝鮮戦争の勃発は、アメリカの最初からの目論見ではなかった。しかし、米ソの冷戦が激化し、朝鮮がアメリカにとってかけがえのない価値と分ってくるにつれ、在日アメリカ占領軍は戦争を「予期」しはじめたのである。
 アメリカが、日本の民主主義(それもアメリカの政策の枠内でだが)の行き過ぎを是正したのは、日本を極東の対共産圏の防波堤とはっきり意識したころにはじまる。
 しかし、一つの大きな政策の転換は、それ自身だけでは容易に成し遂げられるものではない。それにはどうしてもそれにふさわしい雰囲気をあらかじめ作っておかなければならぬ。この雰囲気を作るための工作が、さまざまな一連の不思議な事件となって現われたのだと私は思う。(下p.391~2)
 明白な証拠はありませんが、状況証拠からみて間違いないと思います。そしてこうした「謀略」は、アメリカ政府や国防総省の意図によってではなく、在日GHQ機関の独断によるものではないか(場合によってはGHQの下部機関)と推測されています。そう、ちょうど関東軍のように。資料上の制約はあると思いますが、このあたりの論拠をくわしく知りたいところです。
 さて松本氏をここまで駆り立てる執拗低音は何なのか、おそらく次の一文がそれを解く鍵ではないでしょうか。
 実質的にはまだ日本はアメリカの占領中なのだ。(下p.382)
 日本、特に沖縄における米軍基地を維持し、自衛隊をその補助戦力として利用するには、日本人に絶えず国際的な緊張感を持たせないといけない。当時の文脈で言えば"共産勢力の恐怖"ですね。そのためには、朝鮮は永久に二つに分れていなければならないし、中国との不仲は望ましい。アメリカの国益を脅かすような、独自の外交戦略はあらゆる手段を使って粉砕する。おそらく松本氏はこうした植民地的状況に置かれた日本のあり方に、断固として異を唱えたかったのではないでしょうか。そして多くの人にその背景を知ってもらい、未来を考えてもらうのが、氏の願いだったように思えてなりません。しかし残念ながらその雄叫びは届かなかったようです。その後の自民党政権、現在の民主党政権を見ても、あいかわらず"買弁的"な政策がくりかえされています。誰か、松本氏が掲げた炬火を引継ぎ、『新版 日本の黒い霧』を書いてくれないかしら。

 本書で描かれた時代を、アメリカの世界戦略を中心に、ワールド・ワイドな視野で見事に分析した「パクス・アメリカーナの五十年」(トマス・J・マコーミック 東京創元社)という素晴らしい本があることを付記しておきます。

 付記その二。以前に書評を書いた「何も起こりはしなかった」(集英社新書0384A)の中で、ハロルド・ピンター氏はこんなことを言っていましたっけ。
 アメリカの外交政策を要約するなら、今でも、「おれのケツにキスしろ、それがいやならおまえを蹴って痛めつけてやる」といったものになると思います。
 付記その三。今、問題になっているV-22オスプレイ。ん? もしかしたら海外で配備されている国は日本だけではないのか? だとしたら、これこそ植民地としての日本の立場を見事に象徴していると思います。
by sabasaba13 | 2012-06-20 06:17 | | Comments(0)
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