そしてしばらく海沿いの道を疾走、オリーブ公園から三十分弱で岬の分教場に着きました。「二十四の瞳」の舞台となった田浦分校で、1902(明治35)年に田浦尋常小学校として建築された木造平屋
校舎で、その後苗羽小学校田浦分校として使用され、1971(昭和46)年に閉校となりました。小説「二十四の瞳」の舞台となり、松竹映画「二十四の瞳」(監督:木下恵介/主演:高峰秀子 1954年)のロケに使用されたことで一躍有名となりました。それではさっそく中に入ってみましょう。木の廊下の脇に教室が二つあるだけのシンプルな造りで、机・椅子・掲示物など閉校時のままに保存されていました。まるで時が止まってしまったかのようです。子供時代を過ごした学び舎が残っているのはいいものですね。
映画「二十四の瞳」の写真も展示されていましたが、ほんとにいい映画だったなあ。戦死した教え子を思い出す、大石先生の悲しみと苦渋の表情がわすれられません。私たちにとって唯一の希望である子供たち、その彼ら/彼女らを、国家権力にひたすら従順になるよう育て上げた教育を繰り返してはいけません。すると額の中の教育勅語が、「そう簡単にいくかな」と呟いたような気がしました。儀式において「日の丸」を掲揚し、生徒や教員に起立や「君が代」斉唱を強要する動きが気になる、今日この頃です。
すぐ先に「二十四の瞳映画村」があるそうですが、こちらは1987年にリメイクされた「二十四の瞳」(監督:朝間義隆/主演:田中裕子)のオープンセットを展示してあるだけなので、寄ることもないでしょう。草壁港に戻ってもらいましょう。途中にあったマルキン醤油が気になったので、車を停めてもらいました。瓦屋根と板塀の工場、彼方には寒霞渓、なかなかピクチャレスクな光景を撮影。屋根が黒いのは麹菌のせいだと、運転手さんが教えてくれました。
本日の二枚です。